富山県の北西部にある能登半島。その根元付近には、かつて中世の海城がありました。能登と言うと上杉謙信公の七尾城が有名ですが、そちらではございません。JR氷見(ひみ)駅から車で10分ほど海沿いの道を走ると、海にせり出す白い断崖の丘が見えてきます。
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水平線の遥か海の向こうに立山連峰が見えるとても素敵なロケーション。周りに近代的な建物が無く、当時のままいう感じです。(お城近くのバス停阿尾にあるフォトスポット)
阿尾城跡 富山県指定史跡
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「築城の時期は不明であるが十五世紀後半頃に城として利用が始まったと推定。天正・文禄年間頃には菊池右衛門入道・十六郎父子が居城した。菊池氏は、織田信長配下の佐々成政に従ったが、成政と前田利家が対立すると前田方へと寝返り一万石を安堵された。しかし慶長初め(1597)には廃城となり菊池氏の子孫は加賀藩士となった。」
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「阿尾城跡は富山湾に面した標高20〜40mの独立丘陵に立地し、その独特の景観と共に市民に親しまれている史跡である。発掘調査では、伝二の丸・伝三の丸から中世の土器・陶磁器が多数出土した。また伝本丸には櫓があったと伝えられ海上交通を監視していたと思われる。」
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通りから少し入った場所に数台分の駐車場とトイレがあり、その横の鳥居が入口になっています。
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阿尾城の入口。白い石鳥居をくぐって登ります。途中にご鎮座されている榊葉乎布(さかきばこぶ)神社があります。
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「当社は大伴家持の勧請なりと伝聞され、阿尾村産神として鎮座しています。16世紀末、ひごの名家菊池氏の末裔、菊地武勝(右衛門入道)が、西国より当地に来と往するに当たり、伊勢神宮に詣で、同社の榊樹を阿尾城築城の際に植樹したことにちなみ、榊葉神明宮といわれました。」
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阿尾城には、天正・文禄年間(1573〜1596)頃、菊池右衛門入道・十六郎父子が居城し、榊葉神明宮を城の守護神として尊崇してきたという事です。また菊地武勝は、北八代に鎮座する武内社箭代神社の祭神、葛城襲津彦命を武神として奉斎、祈願所としたとも伝えられています。明治十二年に榊葉乎布神社へ改称。
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さて、本丸へ向かいます。夏場でしたので草が生い茂ってます。地元の方のおかげで歩けるように整備されています。そうしないと草と虫たちの猛攻は容赦しませんからね。
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要注意な道もガードロープが張られているので、踏み外すことなく伝本丸へ向かいます。これが無いと危険です。この日は風が無かったので楽に登れました。
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そして、本丸の展望台が見えてきました。周囲の草刈りもされていて人が通れるようになっています。本来は、こちらに櫓が建っていたという事ですが眺めはいかがでしょう。
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日本海、そして立山連峰も眺めることができる素敵な眺めです。真夏なのでセミの鳴き声がうるさいですが、冬場だと雪で登れないと思います。紅葉の季節、そして冬には雪景色がこの古城を包み込む事でしょう。
阿尾城の歴史
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「本丸の長さ四十間(72m)、幅十五間(27m)、敵楼の跡あり。二の丸縦四十間(72m)、横二十三間(約41m)、東南は海岸、西北は平地にて海面より城地の高きこと十七丈(51m)、麓より五町(545m)、今は鋤きて陸田と為す。菊池氏の始めて越中に来りて此の城に拠りし歳月は不詳。しかれども北越軍談 明応二年(1493)に菊池を載せ、七国志に天文・永禄中菊池伊豆守武勝・同清十郎安信越中に住するとあれば、其の頃より越中に在るならん」と「三州志」にあります。菊池氏唯一の海城となります。前田慶次郎公も数ヶ月入られたようです。
●戦国乱世での武勝公
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菊池氏に対する命令系統は織田信長公から越中支配の佐々成政公へと委ねられ配下となります。しかし信長公が本能寺で倒れると期せずして佐々氏と前田氏の対立が勃発。菊池氏は周囲の状況から前田側へ。天正十三年(1585)六月二十四日、守山城主神保氏張が5000の兵を率いて阿尾城を取り囲みましたが、佐々氏は豊臣秀吉公の軍門に降り、越中所領は前田氏のものに。これにより武勝公は一万石の大名になりました。
●戦国時代が終わると
大名になった武勝公でしたが、子の伊豆守に先立たれると世俗を捨て京洛の紫野に移り、号を閉月とし余生を過ごしました。阿尾城の城郭は武勝公がいなくなった慶長元年(1596)に廃絶。孫の大学は金沢へ移り前田家に仕え加賀藩士として活躍しました。
JR西日本 氷見駅
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高岡駅から出ている氷見線の国鉄時代のレトロなキハ40形の車両ですが、新型車両の導入が予定されているそうです。車窓から眺める夏の富山湾がとても綺麗でした。
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JR西日本氷見線の終着駅である氷見駅。駅内に観光案内所が設けられています。冷房の効いた待合室も有り難いです。ロッカーもあり、タクシー乗り場もあります。
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こちらの観光案内所では、レンタサイクルの貸し出しも行っています。すぐ近くには商店街、そこから10分ほど歩くと海産物が豊富な物産館があります。
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市街地周遊バスも1時間に1本出ています。氷見市ご出身の藤子不二雄Aさんの「怪物くんラッピングバス」です。
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駅前通りには「怪物くん」キャラの銅像がお出迎えしてくれました。阿尾城跡がある阿尾方面へ周遊バスは通らないので残念。マップ上では近い印象ですが思ったより距離があり、バスの便もあまり多くありませんでしたのでタクシーを使いました。いろんな名所の話も聞けていいですよ。
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