日本海と瀬戸内海との干満の差で生じる最大10ノット(18.5km/h)の潮の流れ。その流れが合戦の勝敗を分けた「壇ノ浦の戦い」。 治承四年(1180)四月に以仁(もちひと)王が平家追討の令旨を発したことに始まる源平合戦。同年八月、源頼朝公が挙兵し各地で戦いが繰り広げられました。寿永二年(1183)七月、木曽義仲公が京に迫ると、平家一門は平清盛の娘徳子が産んだ安徳天皇を奉じて九州へ逃れ、一時は勢力を盛り返します。
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しかし、頼朝公の弟、源義経公率いる源氏側が一の谷、屋島の合戦と次々に勝利し、平家は次第に西へと追いやられここ関門海峡の地へ。
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元々平家一門は、平清盛公が安芸守、播磨守、大宰大弐などの官職についた事により西国に大きな力を誇っており、四男の平知盛公も引島(彦島)や屋島など領地を持っていました。その他にも熟練した水軍、陸地には九州の味方もいる。ここ関門海峡はいわば、平家にとってホームのような場所。負けるはずは無いと絶対の自信があった事でしょう。
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寿永四年三月二十四日の正午、決戦の火蓋が開かれました。平家側約500艘、源氏側約840艘(吾妻鏡)。当初は西から東へ潮は流れ平氏優勢で源義経勢は防戦一方でしたが、なんとか持ちこたえ潮の向きが変わったところで形勢が逆転します。さらに平氏側に裏切り者が出て勝敗はあっけなく決しました。安徳天皇、平知盛公、諸将が次々と入水し、午後4時ごろ源氏側の勝利で最終決戦の幕を閉じました。古戦場の石碑にはその様子を描いたものがありました。
最寄りのバス停「御裳川」(長府・小月方面行き)バス停があります。
周辺の施設
●お土産屋さん
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海産物のお土産や席数少ないですが軽食(うどん・ちくわ等)ができます。※ちくわはそのままだとほとんど味がありません><。
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「本州最西端到達証明書」なるものも売ってました。
●火の山ロープウェイ
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関門海峡を一望できる場所は二つ。九州の門司側の古城山にある和布刈(めかり)公園。もう一つはこちらの「火の山ロープウェイ」。かつて狼煙場があった事からその名がつきました。
●馬関海峡開港100年記念長州砲(仕掛け付き)
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全長3.56m口径20cmの大きな大砲が5門あります。うち1門には仕掛けがあり、
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100円硬貨を入れると大砲の音と煙が出ます。
●関門トンネル人道入口
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銅像の目の前にあるのが「関門トンネル人道入口」。通行料無料で約800m先の九州の門司側へ約15分で歩いて行けます。
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歩行者は無料、原付と自転車は20円で押して歩けば通れます。係の人はおらず無人です。
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車道の下を通るんですね。入る前は暑さや排気ガスなどが気になりましたが、トンネル内は暑くなく、静かで空気も綺麗で平坦なトンネルでした。
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まっすぐで単調なトンネル内ですが、退屈させないような絵や演出がありました。こちらは九州と本州をまたぐフォトスポット。記念に皆さん撮ってます。
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反対側の九州門司側へ着きました。他にも記念になる物がもらえます。下関側と門司側に台紙とスタンプがあります。
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ハンコを二箇所で押して
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指定された施設に持って行くと。
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関門TOPPA!記念証(数パターンあり)が無料でいただけます。
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こちらが門司側です。目の前に和布刈神社などがあります。ちなみにバス停がありますが1時間に1本くらいです。
●赤間神宮
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御祭神:第 81代安徳天皇 御由緒:壇ノ浦合戦により海底深く入水され、竜宮の海へ入られた安徳天皇は水の力を得て水天皇大神と称えられています。江戸時代まで阿弥陀寺にて供養されていましたが、明治8年に官幣中社、昭和15年に官幣大社へ。毎年5月2・3・4日の三日間、先帝祭が行われます。安徳天皇の御霊を慰めるために生き残った女官たちが御陵に参拝したのが始まり。最寄りのバス停「赤間神宮前」
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JR西日本 下関駅
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駅バスロータリーがあってバス移動できます。青いバスかっこいいです。
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壇ノ浦古戦場へは(長府・小月方面)1番乗り場。厳島神社へは6番乗り場です。