千葉県の南部、房総半島の先っぽ付近に位置する館山市。こちらの人気観光地といえば「里見の郷」「館山城」。昭和時代に映画や小説で大ヒットした「里見八犬伝」で知った方が多いかと思います。そのモデルとなった曲亭馬琴の著書「南総里見八犬伝」「里見氏」ゆかりの館山城へ向かいました。
JR東日本 館山駅

JR千葉駅から内房線を利用して「館山駅」へ向かいます。E131系の車輌でした。海沿いを走る時は、観光用のアナウンスが流れていました。

館山駅は、レンガ造りの柱に赤い屋根がレトロな洋風駅舎に懐かしさを感じます。観光案内所や駅弁売場もあり、駅前ロータリーにはタクシーやバスが待機していて館山城へのアクセスは良さそうです。
幻の駅弁当

館山駅で販売されている「房州名物くじら弁当」。とても珍しいですね。

ひと昔前は普通にお店で買えたり、給食の大人気メニューだったくじら加工食品でしたが、現在では、ほとんど見かけられなくなりました。

くじら肉は少しだけかな?と思っていたら、ご覧の通りくじら肉がぎっしり、卵焼きも入って1100円。思ったより安価。くじら独特の風味が懐かしさを感じる方が多いのではないでしょうか。
駅構内観光案内所

駅構内の観光案内所で甲冑たちからお出迎えをいただきました。里見氏の家紋である二引両が煌びやかです。里見氏は元々上野国(群馬県)の新田一族でした。両袖の大袖と兜の吹き返しから、鎌倉時代の甲冑のレプリカのようです。

やはり里見といえば、江戸時代に発行された曲亭馬琴著「南総里見八犬伝」の方が有名ですね。関連の史跡巡りスタンプがありました。

館山城跡へは、駅からタクシーで5〜6分ほど、バスなら10分程度で着きます。現在は城山公園として整備されており、駐車場からお城まで少し登ります。

「館山城は里見義康公忠義公居城跡で房総における里見氏終焉の地であります。」城山公園内には、お城の他に館山市立博物館があり、戦国大名の里見氏の歴史が主に展示されています。月曜休館日

その他に「城山のみち」という散策コースがあり、万葉の径、日本庭園や梅園などがあるようです。

いざ天守閣へ
館山城跡

白い壁がとても綺麗で立派な三層四階の天守閣です。昭和58年に開館した「八犬伝博物館」となっており、先ほどの博物館の別館となっています。映画「里見八犬伝」(昭和58年上映)が大ヒットしていた頃ではないでしょうか。

その名の通り南総里見八犬伝に関する資料展示が行われています。博物館内「中の展示物は撮影NG」です。入口には、何かのキャンペーンでしょうか、アニメの犬たちがおられました。その他にもワンちゃんを連れた方が沢山おられました。八犬伝が引き寄せてるのでしょうか。

やはり、お城に来たならば天守からの眺望を見ずには帰れません。房総半島の先端から、どこまで遠くが見えるのか気になります。天気がその期待に応えてくれました。

夕陽が眩しいですが、館山湾を挟んで奥に伊豆半島と三浦半島、右側には霞みがかかって見えにくいですが富士山まで見えました。

北の木更津方面側の眺めです。真ん中に内房線の館山駅が見え、海岸沿いの平野に館山市街が広がっています。
御城印

「館山城」「稲村城」の御城印が販売されています。稲村城とは、安房里見義実公の子の第三代里見義通(よしみち)公が、安房の拠点とされたお城のことです。
里見氏
平安時代末期、上野国(群馬県高崎市)の御家人新田義俊(よしとし)が里見郷を領地とし里見氏(里見義俊)を名乗りました。義俊の父義重は新田一族の祖であり、義重の弟義康は足利氏の祖。鎌倉時代、里見一族は将軍の御家人として上野国の南東部、美濃国(岐阜県)、陸奥国(福島県、宮城県、岩手県、青森県)、常陸国(茨城県)などに各地に派遣されました。

鎌倉時代末期には、新田義貞公と共に打倒鎌倉幕府を果たしますが、その後足利尊氏が反旗を翻した南北朝動乱期にて義貞公が負けた事により勢いを失い没落してしまいます。室町時代に入ると、関東の鎌倉公方足利氏に仕え支えたことにより里見氏は、お家断絶を免れ地位を上げました。写真:生品神社の新田義貞公(群馬県)
戦国時代

里見氏が房総の安房(千葉県南部)に移ったのは、鎌倉公方足利成氏に仕えていた里見義実公(よしざね_安房里見氏の祖)の代でした。関東では足利成氏と関東管領上杉氏の間での対立「享徳の乱」が起き、房総を含む東京湾の海運を巡る戦いも激化。成氏は上杉氏を排除するべしと里見氏に厳命、武田氏と共に念願の上杉氏を追い出すことに成功し、安房国を統一することになりました。

喜ぶのも束の間、伊豆国(静岡)から相模国(神奈川)へ勢力を伸ばす北条早雲公の脅威。鎌倉公方足利氏も古河(茨城県古河市)へ逃れ衰退(古河公方)、この動きに里見氏内でも分裂、第四代義豊公は北条氏の援助を受けた分家の実堯(さねたか)が滅されたのち第五代里見義堯公が実権を握ると上総(千葉県中部)まで勢力を拡大させ北条氏に対抗しました。写真:小田原城(神奈川県)

第八代里見義頼公は新しいお城を、標高75mの館山に築こうと計画しましたが、完成を見ずに病で亡くなり、跡を継いだ子の第九代義康公によって、天正十八年(1590)夏に館山城を完成することになりましたが…

同年の秀吉公による北条小田原城攻めでの事。義頼公も房総の兵を率い渡海し三浦半島に上陸しましたが、この機に先祖以来の宿願だった鎌倉公方の再興を叶えようと三浦の侵略に日時を費やしてしまい、小田原へ着いた時には落城間際。その遅参に秀吉公は憤慨し北条氏を滅ぼした後に里見氏から上総の地を奪い、安房だけを与え館山城に入らせました。
江戸時代

徳川家康公が天下をとった後の慶長十九年(1614)譜代大名で相模小田原藩初代藩主の大久保忠鱗公が、本多正純公との勢力争いに敗れて失脚、忠鱗公の孫婿であった第十代里見忠義公は安房国を没収され、伯耆国(鳥取県)へ三万石で流され、

その年の九月九日、館山城は幕府により破却されました。そのため、房総の人々は九月九日の重陽の節句を祝う行事を慎むようになったと言われています。またお城を壊した際、莫大な軍資金が嶺岡山などへ埋めたという伝説もあります。
八人の家臣の墓所
元和三年(1617)姫路城主池田光政公が鳥取へ転封になり因伯二国を治めた時、里見忠義公は倉吉の東の田中(鳥取県倉吉市内)へ蟄居させられ、そのあと堀村という地に移され百人扶持を与えられました。

館山城内の散策コースには「南総里見八犬伝」のモデルとなった遺臣のお墓があります。

「大坂城の豊臣方との決戦を目前にした徳川幕府は、関東御府内外様大名取り潰しの策を回らせた。この策により改易を命ぜられ伯耆(鳥取県)の倉吉に移された房総里見氏十代忠義は、憂悶のうちに元和八年(1622)29歳で倉吉在の堀村に卒した。

この悲運の主君にしたがって殉死した八人の家臣は、村も氏名は不詳であるが、四字の戒名の上と下に必ず心・賢の二字が配されているのは、何を暗示しているのであろうか。

慈恩院に伝えられた話によると、房州にあった里見氏の遺臣が、主君忠義と八人の殉死者の遺骨を房州に持ち帰るべく漁師の姿に身をやつして、はるばる倉吉の大岳院の墓から蛸壺に分骨して帰り、密かに館山城の南麓に埋めたのが、この八遺臣の墓であると言う」
八犬伝ゆかりの地

最初にも触れましたが「里見」と聞いて、誰もが思い浮かべる「南総里見八犬伝」は、文化三年(1814)から天保十三年(1842)にかけて刊行されました。作者の「曲亭馬琴」さんが28年間も歳月をかけた現在でも人気の物語。館山城内ではグッズも販売されています。
南総里見八犬伝(長い物語なので短めに)
室町時代の物語。安房国は里見氏と安西氏が二郡ずつ治めていましたが、里見領内が凶作で苦しんでいたある年、安西氏が突如攻め込んできました。籠城する里見義実は飼い犬の八房に
と冗談を言うと、本当に八房が敵の大将安西景連(かげつら)の首を取ってきました。父義実は高い身分やご馳走を振る舞いますが八房は受け入れません。

戯れごととはいえ、約束は守らなければなりません。
そう言うと伏姫は八房と共に富山(安房にある山)の洞窟に籠ります。二年後、父義実は伏姫を救うため金碗大輔(かなまりだいすけ)らと共に富山(安房の山)へ向かいました。童子から八房の気を受けて八つ子をお腹に宿している事を告げられた伏姫は自らの悲運を嘆き自害を決意しする中。

八房を狙って金碗大輔が放った鉄砲の弾が伏姫にも当たり八房が死に、伏姫も自害。この時伏姫の体から白い煙と「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の文字が浮かぶ数珠が八方に飛んでいきました。撃った金碗大輔は出家して「ヽ大法師(ちゅだい法師)」となり、その8つの霊玉を探す旅に出ました。

牡丹のアザを持つ里見の八犬士たち「犬塚信乃」「犬村道節」「犬飼現八」「犬飼小文吾」「荘助」「犬坂毛野」「犬村大角礼儀」「親兵衛」は、それぞれの霊玉に導かれヽ大法師のもとに結集。里見家を潰そうとした扇谷定正(おうぎがやつさだまさ)・関東管領山内顕定・足利成氏らの連合軍を力を合わせて打ち破ります。

その後八犬士たちにはそれぞれ城が与えられ、館山城には親兵衛が入り城主となりました。里見義成の八人の娘と八犬士たちは結婚し里見家の繁栄を見届けたのち、子に家督を譲り富山(安房の八房と伏姫が暮らしていた山)に入り仙人になりました。
武士であり作家でもあった曲亭馬琴

本名は滝沢興邦といい江戸深川生まれ。父は旗本松平信成の家臣で馬琴さんも松平家に仕えていました。数ある旗本に仕えたのち作家になるため寛政二年(1790)に山東京伝へ入門し次々と作品を執筆。「椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)」によって人気作家に。そして文化十一年(1814)『南総里見八犬伝』の刊行が開始されました。

クライマックス時は78歳になった馬琴さん、ついには失明して書けなくなってしまいましたが、亡くなった長男興継の妻お路に頼んで口述筆記させて物語を完結させました。その後も作品を出し続け、嘉永五年(1793)82歳に亡くなりました。
ご当地グルメ

館山公園の駐車場横で営業している里見茶屋さんです。こちらではお団子が名物です。

いろんなお団子の他にカレーなどの食事も店内で味わえます。

色々なお団子があって迷いましたが、「豚バラ肉の肉巻きみたらしだんご」に決めました。

店内でゆっくり味わえるのが嬉しいです。お茶も出していただけました。さてお味は

意外にもとても美味しかったですよ。

館山城の前の道路にはバス停があります。
戦功を立てれば長女伏姫の婿にしてやろう!!