【岐阜県】天下分け目の決戦場跡/関ヶ原町関ヶ原古戦場跡

岐阜県中部に位置し日本の合戦史上で一番有名で、日本三大合戦(関ヶ原、川中島、筑後川)の一つに数えられる「関ヶ原の戦い」。戦国時代、徳川勢の東軍と豊臣勢の西軍に分かれて戦った天下分け目の決戦の地は、現在どうなっているのでしょう。

JR東海 関ヶ原駅

JR東海道本線の途中駅で、駅舎は三角屋根の古風な建物ですが中はとても新しく綺麗です。

駅のホームには「関ヶ原の戦い東西の主な武将」についての看板で復習ですね。【西軍】石田三成・島津義弘・小西行長・宇喜多秀家・大谷吉継・小早川秀秋・平塚為広 総勢80000【東軍】徳川家康・井伊直政・加藤嘉明・細川忠興・黒田長政・福島正則・竹中重門 総勢74000

関ヶ原駅の中で両軍の総大将がお出迎えてしていただけました。

駅を出て「関ヶ原古戦場跡」へ向かう道中には、数多くの看板が掲示されていて関ヶ原の合戦のおさらいが出来るようになっています。せっかくのですから簡単に予習してみましょう。

関ヶ原の戦いの経過 決戦の朝

慶長五年(1600)九月十五日。関ヶ原は未明から深い濃霧に覆われ、見通しがきかない中で決戦の朝を迎えました。着陣した総勢十五万の両軍とも緊張感が漂う中、睨み合いが続きます。青色=西軍赤色=東軍黄色=反応軍(寝返り)、黒色=傍観軍

辰の刻(朝7時〜9時)決戦開始

ようやく霧が晴れてきた頃、東軍】井伊直政・松平忠吉隊【西軍】宇喜多秀家隊に向けて発砲、それに【西軍】福島正則隊・宇喜多秀家隊が反撃に出て決戦の火蓋が切られました。同時に【東軍】が岡山烽火場より、戦闘開始の合図となる狼煙をあげました。

戦闘が開始され、両軍の優劣は一進一退ではっきりしませんが、主に三箇所で激戦が繰り広げられました。

西軍】石田三成隊 ×【東軍】黒田長政隊・細川忠興隊・加藤嘉明隊

【西軍】大谷吉継隊×【東軍】東堂高虎隊・京極高知隊

【西軍】宇喜多秀家隊×【東軍】福島正則隊(超激戦)

この間、【東軍】黒田長政隊の攻撃(鉄砲)により【西軍】石田三成隊の島左近が被弾負傷、更に東軍の度重なる波状攻撃を受けましたが、【西軍】石田三成隊も応戦し東軍の前線は押し戻されました。

西軍の予想以上の善戦により、【東軍】は劣勢気味となりました。これはいかんと【東軍】徳川家康隊は桃配山より、前線の陣場野へ陣を移し士気をあげようとしましたが、戦況は一向に好転せず。

西軍優勢

戦況有利と見た【西軍】石田三成隊は、南宮山の毛利秀元隊・松尾山の小早川秀秋隊に向けて総攻撃の狼煙をあげました。

しかし、【西軍】吉川広家隊家康側と内通しており、毛利隊の参戦を阻みました。同じく内通していた【西軍】小早川秀秋隊も応じませんでした。

正午

正午になっても勝敗は決しません。西軍の攻撃が激しくなってきたため、【東軍】徳川家康公は、松尾山の【西軍】小早川秀秋隊に向けて催促の一斉射撃を行いました。

小早川秀秋が東軍へ転ずる

それに反応し、ついに寝返り【東軍】となった小早川秀秋隊【西軍】大谷吉継隊に攻撃を開始しました。

小早川秀秋隊の寝返りをきっかけに、次々と東軍へ寝返る味方に西軍陣営は浮き足立ちます。

【西軍】大谷吉継隊も、なんとか持ちこたえたものの、【西軍】脇坂安治隊らが加わると遂に敗れ、【西軍】大谷吉継隊はその場で自刃しました。

【西軍】大谷吉継隊が敗れ、【西軍】宇喜多秀家隊、小西行長隊も東軍の総攻撃を受け、雪崩のように敗走しました。

東軍勝利

西軍の諸隊が敗走する中、【西軍】石田三成隊は頑強に東軍と抗戦していましたが、圧倒的な東軍についに北国街道方面へ敗走し、天下分け目の戦いはわずか半日で【東軍】の勝利で決着しました。

島津の退き口

島津隊は自ら攻撃を加えることなく自陣に近づくものは打ち払う姿勢で合戦に参戦していました。西軍総崩れとなり最終的に残った島津隊は家康本陣前を突破し、東軍の諸隊を振り切る形で、牧田を経て伊勢街道方面へ脱走し多大な犠牲を払いながら薩摩へ帰り着きました。

岐阜関ケ原古戦場記念館

現在、岐阜県不破郡関ケ原町には令和二年十月に開館した「岐阜関ケ原古戦場記念館」があります。合戦の砦を連想させる建物で、館内には関ヶ原の合戦に関する展示物や映像展示が行われています。

開館時間は9:30~17:00(入館16:30まで)。休館日は月曜日。入場料は500円。短編のアニメを使った映像も放映されています。上階には展望室があり、関ケ原の眺望を楽しんだり、フォトスポットで自画撮りしたりできます。

眼下に広がる関ヶ原を眺めながら、しばし戦国時代のロマンに浸れます。

記念館の周りを散策。これは、ちびっこ用のなりきりくり抜きパネル。

記念館の庭には「徳川家康最後陣地」と彫られている石碑が建っています。

そこからすぐ近くにある「田中吉政陣跡」。田中吉政公は、合戦での活躍もありますが、敗走する石田三成隊を追撃し佐和山城を落城させた後、伊吹山で石田三成公を捕縛した功により柳川藩32万石の大名になりました。

別館 伊吹庵

記念館の隣にある建物のレストラン伊吹庵では、合戦にちなんだ面白いメニューが多数販売されています。

こちらは、「戦略武将カレー」です。両軍のノボリが立ってて面白いです。隣のおみやげ屋さんでも、「裏切りサイダー」など面白い商品が販売されています。

周辺の史跡

岐阜関ケ原古戦場記念館の周りには沢山の史跡があり、レンタサイクルが関ケ原古戦場記念館ともう一箇所あります。

関ケ原駅前交流館いざ!関ケ原

駅前にこちらのお店にもレンタサイクルもあります。店先に散策コースのマップが沢山ありますので参考になります。そちらをご紹介いたします。

石田三成コース(約10km/約140分)

古戦場記念館→田中吉政陣跡→徳川家康最後陣地→島津義弘陣跡→大谷吉継墓→大谷吉継陣跡→石田三成陣跡→決戦地→黒田長政・竹中重門陣跡→細川忠興陣跡→古戦場記念館

大谷吉継コース(約9km/約140分)

古戦場記念館→西首塚→藤堂高虎・京極高知陣跡→松尾山眺望地→大谷吉継陣跡→大谷吉継墓→平塚為広碑→宇喜多秀家陣跡→石田三成陣跡→古戦場記念館

島津義弘コース(約8km/約120分)

古戦場記念館→決戦地→薩摩池→島津義弘陣跡→徳川家康最後陣地→松平忠吉・井伊直政陣跡→本多忠勝陣跡→烏頭坂・島津豊久碑→古戦場記念館

小早川秀秋コース(約10km/約180分)

古戦場記念館→東首塚→福島正則陣跡→小早川秀秋陣跡→脇坂安治陣跡→開戦地→徳川家康最後陣地→古戦場記念館

福島正則コース(約7km/約105分)

古戦場記念館→松平忠吉・井伊直政陣跡→藤堂高虎・京極高知陣跡→福島正則陣跡→宇喜多秀家跡→開戦地→石田三成陣跡→徳川家康最後陣地→古戦場記念館

黒田長政コース(約6km/約90分)

古戦場記念館→岡山(丸山)烽火場→決戦地→島左近陣跡→石田三成→小西行長陣跡→古戦場記念館

徳川家康コース(約8km/約120分)

古戦場記念館→松平忠吉・井伊直政陣跡→東首塚→本多忠勝陣跡→徳川家康最初陣地→決戦地→石田三成陣跡→徳川家康最後陣地→古戦場記念館

こちらは、別館のおみやげ屋さんで販売されていた石田三成ラベルの「合戦水」。関ケ原古戦場記念館では、毎年三月二十七日を「みつなりの日」と定め、限定の御城印?がいただけたりします。毎年九月十五日前後にも「関ケ原の合戦イベント」も催されています。

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