【福岡県】水天宮の総本宮と勤王の志士/久留米市

 全国にある水天宮の総本宮が福岡県久留米市にあります。久留米駅から歩いて10分ほど、九州一の大河筑後川の川岸にある神社「水天宮」。

天気の良い日は、爽快でキラキラな九州一長い河川「筑後川」。そこから吹いてくる、とても心地よい風が吹いています。晴れた日にはヨットや河川敷で遊ぶファミリーを多く見かけます。

朝から参拝が絶えません。全国にある水天宮の総本宮になります。由緒は。

 ご祭神は天御中主神(あめのみなかぬしのかみ) 安徳天皇、高倉平中宮(建礼門院)、二位の尼。御創建は寿永四年(1185)三月二十四日 壇ノ浦の合戦の後、高倉平中宮に仕えていた官女 按察使局(あぜちのつぼね)伊勢が筑後川畔鷺野に遁(のが)れ初めて水天宮を祀る。時に建久初年と傅く。その後、諸処に移転し慶安三年(1650)九月、久留米藩主の有馬忠頼公が社地社殿を寄進して現在の所に遷し奉る。(略)東京の水天宮は藩主有馬頼徳公のとき文政元年、ここから江戸に分霊したもので全国にある水天宮もこちらから分霊したものです。

名物のかわいい「かっぱおみくじ」。中のおみくじを引いた後は御守りとして飾って使えます。

御朱印もあります。

真木和泉公像と真木神社

 幕末時代がお好きの方なら知らない方はいない「真木和泉守保臣公」こちらの水天宮の第22代目の大宮司の方だったそうで、境内には銅像と真木和泉公が御祭神の「真木神社」が御鎮座されています。

 小さいですが拝殿があります。主祭神は、贈正四位 真木和泉守保臣命。相殿 明治維新に際し殉ぜられた一門と門下生、天王山にて殉ぜられた十六烈士。

真木和泉守保臣 公

文化十年(1813)三月七日〜元治元年(1864)七月二十一日

水天宮神職の家に生まれ、早く父を失ったが、よく母に仕え、学問に励み、武道、音楽にも長じ藩校明善堂から表彰を受けた。傍に流れる筑後川は菊池一族の誠忠を語り、少年の時に愛読した絵本楠公記は尊王愛国の精神を培い、長じては水戸学を中心に学識を深め、しかも身を以て実践した。藩政改革を企ててならず、一時水田に蟄居したが、後に脱出して東奔西走、国事につくし諸国の志士から「今楠公」と謳われその中心的指導者と仰がれた。蘭方医工藤謙同と親しく、外国の事情にも通じ久留米の医学刷新に尽くし久留米藩医学館の生みの親と言われる。また早くから薩長連合を唱えたが時至らず、長州藩と共に倒幕の軍を起こし禁門の変に敗れ、同志十六人と共に天王山に登り辞世の和歌を残して自刃した。享年52。「大山の峰の岩根に埋にけり わが年月の 大和魂」

水天宮では、真木和泉守保臣公の辞世の和歌が入った御朱印もいただけます。

JR久留米駅

JR九州鹿児島本線の停車駅久留米駅。駅はステンドグラスを多用した欧風調の駅舎で、新しくて綺麗です。駅前がバスロータリーになっていて、いろんなオブジェやからくり時計があります。

構内では、久留米出身で80年代の歌謡界を彩ったアイドル松田聖子さんやチェッカーズの曲がエンドレスに流れています。コンビニや飲食店もあり駅弁も販売されています。

正面入り口には何やら大きなレトロ時計。実はこれ「からくり時計」なのです。1時間ごとに仕掛けが動くそうなので、時間まで待ってみました。

懐かしい音楽と共に、「からくり儀右衛門」と書いたお爺さんが出てきて、色々説明してくれました。こちらのお爺さんは、

「田中久重」さん。寛政十一年(1799)九月十八日 〜明治十四年(1881年)十一月十七日

久留米城下生まれ。万年時計や懐中燭台、他にも数多く生活に役立つ商品を生み出された発明家です、50歳を過ぎると佐賀藩や久留米藩で蒸気機関や大砲の開発などを手がけられ、明治維新後は東京へ進出し東芝の前身となる会社を設立されました。

その他には、

何と言っても、豚骨ラーメン発祥の地というだけあって屋台のオブジェもありました。


Visited 1 times, 1 visit(s) today