熊本と奈良を結ぶ守護神/熊本市金峰山①

東は熊本市街を越えて阿蘇山、西は有明海をまたいで島原の普賢岳まで一望できる標高665メートルの山「金峰山」(きんぼうざん)。登山やドライブ、夜景観賞や果物狩りなど熊本県民に一年中親しまれる山であり、台風や塩害、高波などの自然災害からも守ってくれる心強いお山でもあります。昭和30年に金峰山県立自然公園に指定されました。

その金峰山を横断する県道1号線は、藤崎八幡(巾へんを方)宮の参道を起点とし史跡も数多く点在し歴史ロマンを感じられる事ができます。

菊池武重とは平安時代から南北朝、室町時代まで栄えた肥後国菊池氏、その第13代の当主です。

金峰山の由来

金峰山(きんぼうざん)っという一風変わった名前ですが、その由来が山頂に御鎮座されている金峯山神社にありました。元々、こちらの山は「飽田山」と呼ばれていましたが、「天長九年(832年)に淳和天皇が奈良県の吉野山にある金峯山蔵王権現を勧請して以来、金峰山に改称されました。」との事。やがてこちらの神社も明治以降、蔵王権現社から金峯山神社と改称されました。

現祭神は金山毘古・金山毘売の両神と安閑天皇。綺麗な御社殿ですが、先の地震の影響で破損し新しく改修工事中でした。

境内には菊池武重霊社がありました。元弘二年(1333)菊池武重公が河内浦(海側)から上陸した肥前勢と戦ったとき、当社に祈って勝利を得たため、神が小手をかざして味方の勢を見拾う姿を自ら一刀三礼して刻んだのが現在の御神体だそうです。歴代熊本藩主だった加藤・細川両氏にも崇敬され保護されました。

建物の横に仮拝殿で書き置きの御朱印をいただけます。

神社の手前右にある赤く炎を帯びている様に見える石像「金剛蔵王大権現」とあります。小さい頃にかくれんぼして遊んだ覚えがあります。

左側におられる石像には「役行者 神変大菩薩」と。一体どなたなんでしょう。県民の多くの方も知らないだろう謎を解くために奈良の吉野山へ向かいました。結構、長編になります。(汗)

近鉄吉野駅

JR奈良駅から約2時間、列車に揺られながら途中吉野口駅で近畿日本鉄道に乗り換え奈良県吉野郡吉野町にある終着駅近鉄吉野駅に到着。

山に囲まれた風景に溶け込む様な古風な駅舎。紅葉シーズンに訪れました。駅前のお土産屋さんには奈良名物の「柿の葉ずし」。駅弁としても有名です。

文字通り柿の葉で包んだ可愛いお寿司で、柿の葉の香りが心地よくお寿司には焼鯖と鮭の切身が乗ってます。わさび抜きですのでお子様でもパクッと食べられます。とっても美味しいです。

吉野山は春の桜の名所でもありますのでさくらソフト。緑色は抹茶ではなく、よもぎ味です。

その先のケーブルカー乗り場へ向かいます。紅葉がとても綺麗な時期でした。吉野山は紅葉の名所でも有名です。百人一首や歴史の出来事にも度々登場しますのでご存知の方も多いかと思います。

山道をかなり歩く場合もありますので、飲み物や時間配分の計画を立てないと夕方暗くなるのが早いので注意です。いざとなればと民宿もある様です。お土産屋さんはありますが、コンビニは見かけませんでした。ATMや充電スポットなど探す事になる前に、万が一の余裕を持って準備して方がいいでしょう。

吉野山駅のケーブルカーに乗って景色を眺めながら5分ほど登ります。

思ったより室内は狭いので、早朝のケーブルは混雑しそうです。

吉野山は下の千本・中の千本・上の千本・奥の千本と区分けされ、金峯山寺蔵王堂(図中央)のあたりまではお店もありますが、だんだんお店がなくなり長い山道になるので登山などしない一般の方・時間の余裕のない方はバスなどを利用したほうがいいでしょう。奥の千本まで徒歩だと片道1時間半位かかるそうです。

まず奥千本にある金峯神社に行ってみたいので、ケーブルカー降車場所からバス(マイクロ)に乗り、終点の奥の千本へ運賃は500円(前払い)。

奥の千本のバス停に着くとそこから鳥居「修行門」をくぐって150メートルくらいの急坂を登ります。結構きつい坂でした。ヘロヘロ。

急坂を登ってやっと辿り着きました。こちらが金峯神社(きんぷじんじゃ)です。手前の左側に社務所もあり御朱印も書いていただけます。

御祭神は金山彦命(かなやまひこのかみ=金山毘古と同じです)で、吉野山の総地主の神様。金峯というのは、この辺りから大峯山へかけての総称であり古来地下に黄金の鉱脈があると信じられていたからの様です。金運・開運・厄除けの神様でもありますのでしっかりお詣りして御朱印とお守りをいただきました。

宮司様が手書きで書いていただけました。とても見事な御朱印です。しばらく見とれてました。トンボが二匹とまっている様にも見えます。

隣にある「義経の隠れ塔」。源義経公が、この塔に隠れ、追っ手から隠れる為に屋根を蹴破って外に出たため、「蹴抜けの塔」とも呼ばれる様になりました。

世界遺産 金峯山寺蔵王堂

続いては、あの石像の事ですね。またバスで戻って「蔵王堂」に戻り下車。現在、国宝の仁王門は改修工事中で、本来なら巨大な金剛力士像が観られる国宝の仁王門は改修工事中でした(令和十年度完了予定)。特別御開帳期間中の日本最大の秘仏 青の権現の御本尊のある蔵王堂へ。

回り込んで中へ入ります。

足場が組まれ防災設備の整備工事中のため全景はわかりませんが、とても大きな本堂です。本来は下の写真の様な荘厳な建物。1300年記念の特別御開帳の期間中であったので幸運でした。

金峯山寺(きんぷさんじ)は日本独自の宗教である修験道の根本道場として全国の修験者・山伏らに崇められています。本堂であるこの蔵王堂は、今からおよそ1300年前に役行者(えんのぎょうじゃ)によって建立。火災により現在の建物は天正二十年(1592)に再建されたもので東大寺大仏殿に次ぐ規模を誇る木造古建築で国宝にも指定されています。

この奥に金剛蔵王権現様が三体いらっしゃいます。たくさんの方がお詣りされていました。撮影できるのはここまで、かわりに冊子に載っていたもので。

こちらの三体が「金剛蔵王大権現」様で高さ約7mある日本最大の木造秘仏とされ、青い体躯に魔を払う怒りの形相となっています。これは本来のお姿である釈迦如来、千手観音菩薩、弥勒(みろく)菩薩の変化神で、それぞれ私たちの「過去」「現在」「未来」を守ってくださる仏様です。金峯山神社で熊本を守ってらっしゃる石像と同じです。本当に大きくて邪気が吹き飛ぶ様でした。

あの石像とそっくりです。「開祖役行者 役小角(えんのおずぬ)」。舒明六年(634)元旦のお生れ。全国各地の山々で修行され霊山を開き、修験道の基礎を築かれました。後に1100年忌の際、光格天皇から日本の歴史上唯一の尊号「神変大菩薩」を賜りました。すごい方です。

すごく迫力ある力強い御朱印です。魔を払っていただけそうです。右の通常のものは直書きでいただけます。熊本の金峰山、いえ九州にはすごい守護神がおられたのですね。これからもお守りください。よろしくお願いいたします。合掌

もう一つの歴史的舞台

境内に一角に、もみじと四本の桜(白い木)と石で囲まれた美しい場所があります。この場所蔵王堂は、もう一つの歴史の舞台でもあります。

時は南北朝時代。こちらは南朝(宮方)の本陣でもありました。

元弘三年(1333)閏三月三日、後醍醐天皇の第二皇子、大塔宮護良親王が北条幕府の大軍に攻められて吉野山に立てこもられた時に、ここ蔵王堂を本陣とし落城に際して、四本桜がある前庭で最後の酒宴を開いた場所。後世ここに桜を植え大塔宮ご陣地として記念されている所なのです。

「村上義光公忠死之所」二天門(本来の正面か)と言われ、先ほどの酒宴の後、いざ決戦のとき大塔宮の家来、村上彦四郎義光公が、宮の鎧を身につけて身代わりとなり二天門にかけ上り、腹を一文字にかき切って壮烈な最後を遂げたのでした。大塔宮はこの隙に勝手神社横の谷を抜け、無事高野山へ落ちのびる事ができました。村上といえばのちの水軍が有名ですね。南北朝といえば

熊本金峯山神社の境内にあった菊池武重公も村上義光公と同じ宮方で、新田義貞公と尊良親王と共に箱根・竹の下の戦いで共に戦われました。そののち懐良親王を征西大将軍とし肥後国隈府に本拠地をおき、肥後守護としてもご活躍されました。深い絆の繋がりがあったのですね。

熊本金峰山山頂からの眺望。真ん中に見える白い噴煙の場所が阿蘇山の火口であり吉野山の方角。

謎だった三体の石像の事を知ることができました。約515キロ離れた熊本の金峰山には最強の守護神三神が御鎮座されていたのでした。合掌。

Visited 4 times, 1 visit(s) today