【大分県】ジャンボ鯉のぼりと難攻不落の城/玖珠町 角牟礼城跡

何度かご紹介している大分県玖珠郡玖珠町。。SLと童謡の町としても知られてます。前回は『伐株山城跡』をご紹介しましたが、今回は『日本一の鯉のぼり』と『角牟礼城跡』を訪れました。

日本一の鯉のぼり(日本童謡まつり)

玖珠町出身の日本の児童文学者『久留島武彦』にちなんで『童話の里』として街には物語のキャラクターの像が並んでいます。そしてこちらでは年に一度五月五日に開催される『日本童謡祭』に登場する『ジャンボ鯉のぼりの潜り抜け』が有名です。写真:JR九州豊後森駅ホーム

このお祭りの日には、大きな鯉のぼりが泳ぎます。この大きさには驚きです。後ろに見えるのは切株の様な「伐株山」です。

空を泳ぐ鯉のぼりの下に行くと、もっと驚きます。玖珠川河川敷に寝転んでいる巨大な鯉のぼり。これが名物の「鯉のぼり潜り抜け会場」です。

この鯉のぼりの中は人が通れるように張られており、この中を無料で通ることができます。鱗の配列がとても綺麗です。

みんなスマホで撮影会です。ぜひ収めたい景色です。

すぐ近くには「豊後森機関車公園」があり、そちらでも露店やゲームコーナー、ミニSLコーナーなどお祭りが行われていて1日楽しめるようになっています。

こちらの豊後森機関車公園での名物ミニ列車。コースは西日本一の長さだと伺いました。

精巧に出来たミニSL。

レトロな気動車タイプ。もう1車輌機関車トーマスも走っていました。お子様たちに大人気です。このお祭りの日は別の場所三島公園でもイベントもやっていました。

三島公園・豊後森藩資料館・わらべの館

豊後森駅から道の駅「童謡の里・くす」の先にある三島公園。この「日本童謡祭り」の日には、こちらでもイベントが開催されています。普段「わらべの館」の館内には「豊後森藩資料館」があります。

公園には、豊後森藩の屋敷跡など史跡、童謡にちなんだ銅像が建っています。春は桜の名所としてお花見で賑わいます。この先には神社、角牟礼城跡へ向かう登山口があります。

「御長坂」。公園からの一画に石畳の坂があり、ここから角牟礼城への登山口ルートへ繋がります。

忍者返し

石垣と上に大きな鋭角な板があります。こちらは「忍者返し」で、敵の侵入を食い止める岩です。

末廣神社

こちらの神社には「日本一大きな手水舎」があります。「巨大な岩石をくりぬいたこの手水舎は、角理山の中腹から挽き寄せたと言われますが、一体何人でこの巨石を引っ張ったのでしょうか。石工には、石の粉一升を掘れば小銭一升を与えると奨励し、掘らせたとも言われています。」

この神社の裏から「角牟礼城跡 角埋山登山口」へ向かう道案内があります。

ここから登山する事ができますが、結構うっそうとした山道で危険な箇所もありますので、車で頂上近くまで行けるルートもあります。(マップ内左の道)

角牟礼城跡

『つのむれじょう』という読みます。伐株山城跡の北方に位置する角牟山山頂に築かれた山城です。町道から舗装された道路で車で行けるルートで行ってみましょう。

この様に道幅は車一台分ぐらいです。ゆえに滅多に車は通りません。ひたすら頂上を目指します。

山頂には車が5台ぐらい停められる駐車場があります。周辺には石垣が積まれていて解説板などが立っています。

こちらの駐車場横から徒歩で山道を登ります。本丸までそう長くはありません。下の方に伸びている登山ルートは後ほど紹介します。角牟礼城跡は標高577mの天然の要害で三方を切り立った険しい岸壁で囲まれています。

『豊前側からの侵入を防ぐ豊後の境目の城として屈強な玖珠郡衆により守られていた城です。天正十四年(1585)、十五年(1586)の島津氏と大友氏の豊薩戦では、唯一落城しなかった要害堅固の城として有名でもある。落ち葉が積もっていますが、道自体はしっかりして登りやすいと思います。

もともとは伐株山城と同じ様に山岳宗教の寺院があり、その後の久寿二年(1155)源為朝(鎮西八郎)が築城したと伝えられてます。弘安年間には森三郎朝通がここを居城したともあります。天正十四年十二月、大友氏攻略の島津軍約6000人が玖珠郡に攻め入る。

天正十五年一月〜三月、角牟礼城攻撃。籠城の森五郎左衛門をはじめ古後、太田氏等約1000人、島津軍数度の猛攻に屈せず、これを撃退する。文禄二年(1593)豊臣秀吉が、文禄の役で失態をおかした大友義統(宗麟の嫡男)を除国し、翌年に日田郡に宮木長次、玖珠郡に毛利高政を入部させた。

慶長元年(1596)からは毛利高政が日田・玖珠郡二万石を支配したことが、秀吉の「朱印状」や「黒田家譜」からも知られる。現在の石垣はその頃に築造されたと思われます。写真:伝二の丸

慶長五年(1600)の関ヶ原の戦い後、毛利高政は佐伯城主に転封され、一時黒田孝高(後の如水)の預かり地となるが、代わって伊予より来島康親が入部する。しかし来島は一万四千石の小大名であり、城を持つことが許されず、現在の三島公園に陣屋を築き、そのまま放置され長い歴史の幕を閉じることになります。

『来島』とは、戦国時代以前から瀬戸内海を中心に活躍していた村上水軍(海賊)の『来島村上氏』のことです。村上水軍(海賊)に関してはこちらに。来島氏は久留島と称し豊後森藩主として明治維新を迎えました。写真:因島水軍城資料館(広島県)

神社を過ぎると本丸の展望所があり、少し狭いですが玖珠町が一望できます。

御城印は、豊後森駅近くの「くすまちメルサンホール」で伐株山城跡と一緒に取り扱っています。300円

「伐株山城跡」をご覧になりたい方は、こちらへ。

Visited 1 times, 1 visit(s) today