平安時代から昭和まで活躍/福岡県 門司城跡

九州の北端に位置し瀬戸内海国立公園内の古城山(標高175m)に築かれていた「門司城」。現在は石碑とベンチしかありませんが。海峡を挟んで本州と九州を約800mの最短距離で結ぶ門戸にあたり、大化の改新の頃より重要視された地でした。平安時代末期の文治元年(1185)平清盛公の四男、平知盛公が来たる源平合戦に備え家臣の紀伊直資に命じお城を築かせましたが、その甲斐もなく壇ノ浦の戦いで平氏一門は滅びます。

鎌倉時代に入り寛元二年(1144)、藤原親房公が海賊鎮撫の目的で豊前代官職として入部。建長七年(1255)、門司ケ関六郷を拝領して門司氏を称し代々の居城となります。南北朝時代になると一族が南朝と北朝に分かれ争乱状態に。戦国時代には中国の大内氏や毛利氏が、九州進出の拠点として門司城を最重要視、これを阻止しようとする豊後の大友氏との間で度々合戦に、結果は毛利軍の勝利。慶長五年(1600)、細川忠興公が門司城を修築しますが元和三年廃城となります。

時は流れ明治二十五年から昭和二十年の終戦までの53年間、海軍の要塞として再利用され活躍した跡が現在も残されています。頂上にも砲台跡のような遺構がありました。

第二展望台が下の方にもあり、自動車も駐車できます。源平合戦の壁画や関門海峡の写真撮影ができます。

よく旅行雑誌などに載っている関門橋の風景ですね。この風景が見られるだけでも登って来る価値はあります。関門海峡の展望スポットは二箇所、こちら門司側「和布刈公園」ともう一つは下関側の「火の山」(ロープウェイがあります)です。

門司港駅前からバスが出ています。大きなカーブの先にある和布刈公園入口バス停付近(現在地)から道が二つに分岐しています。門司城跡・展望台へ行くには右の道を登ります(一方通行)

和布刈公園入口バス停がある分岐点です。ここから右は一方通行。この道を通らず左側の道へ直進すれば和布刈神社や関門人道トンネル入口があります。

ネコちゃんいました。

頂上手前の駐車場付近から、車両進入禁止の登山道になり徒歩10分、ひとがんばり登ると頂上です。

 

周辺の史跡・施設

明石与次兵衛塔

和布刈公園(めかり)入口から少し登った場所にある塔。文禄元年(1592)朝鮮出兵のため名護屋城(佐賀県)にいた豊臣秀吉公は、母の急病のため大坂城へ向かう事に。途中、関門海峡最大の難所「篠瀬」で船が座礁してしまいます。秀吉公は全裸になり、服を頭に乗せ助けを待ったと言います。助けが来て難を逃れましたが船奉行だった明石与次兵衛は、その責を感じ大里の浜で自害。慶長五年、豊前国領主となった細川忠興公は与次兵衛の死をいたむと共に往来船舶の安全のためにこの塔を立てたそうです。

その後、大正から昭和にかけて度々移設されて現在はこの地に。「篠瀬」は「死の瀬」とも呼ばれ、干潮時にだけ岩礁が現れる危険な場所だったそうです。

●和布刈神社

創建は、仲哀天皇(200)、九州で最古の古社と言われる「和布刈神社」。干潮時の海でワカメをとり神前に捧げる「和布刈神事」が有名です。神功皇后ゆかりの神社で海峡の守護神。御朱印やお札・お守りも社務所でいただけます。

関門橋の下にありますので、こんな写真も撮影できるフォトスポットでもあります。

関門トンネル人道入口

和布刈神社の目の前にある「関門海峡人道トンネル」。歩行者(無料)・自転車&原付(片道20円)で通行できます。※車両は押して歩きますが、原付の人を見た事ありません。【午前6時〜午後10時】こちら側のバス停は、1時間に1本で下関側に比べ少ないので、また引き返す人もいたりします。

現在(令和四年)人道トンネルの門司側と下関側で備え付けの台紙にスタンプを押して記載されている観光施設へ持っていくと

「関門TOPPA!記念証」がもらえます。

JR九州 門司駅(福岡県北九州市)

日本で初めて国の重要文化財として指定された門司港駅(創建大正三年)、現役の駅では東京駅とこの門司港駅だけ。二階はレストランで一階はみどりの窓口と観光案内所、待合室のようでした。

オリジナル入場券。1枚150円とお安かったので昼と夜バージョンを。こう言うの弱いんですよね。

門司港駅から海側へ歩いて数分の所にある「マリンゲートもじ」

下関側の海響館という水族館そばから行けますが、こちらからでも巌流島へ行けます。

海路もいいですね。

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