【山口県】鯨が浮かぶ森と幻の城/長府市 串崎城跡

 源平合戦の壇ノ浦の戦いで知られる下関市から二駅ほど東にある長府市。そこには、かつて数年間だけ存在したお城がありました。地元の人たちに「幻の城」と呼ばれています。一体どんなお城だったのでしょうか。

JR西日本の下関駅からバスに乗り「市立美術館前(関門医療センター前)」で降りて、海側へ少し歩くと、

国道2号線から海側の方向にある小さな丘陵の森に「?」。何やら尾っぽのような物が見えています。はて何でしょう?

近づいてみると、まるで「クジラ」が森のベッドの上で寝ているようですね。え?ウソっ!と気になります。「串崎城」もこの辺りなので登って見に行ってみましょう。

下の駐車場に着くと案内看板がありました。「関見台公園」という公園らしく、例の「クジラ」は、かつてあった施設「くじら館」の跡だったようです。また「櫛崎城跡」と表記されていますが「串崎城」の事で「勝山城」とも呼ばれていたようです。

石垣を眺めながら外周を回ると案内図にある「櫛崎城石碑」に着きました「野面積みの石垣、高さ8m、総延長140m。この石垣の北端に大手口(松崎口)が設けられ、櫓と櫓門が設けられていました。石材のほとんどが大型の自然石で、一部割石を用いて平行に積み上げられています。近江國の穴太衆の技術を用いて気づかれたと言われています。」

小高い丘の上なので急坂ですが「二の丸」に到着。広く平らな曲輪が、ここに館が建っていたような雰囲気があります。横に細長い縄張りなので、長い通路が左右にずっと続いていますが、ひとまず本丸へと向かいます。

「展望台」に着きました。天守台のようで周りの石垣や草木も綺麗に整備されています。「串崎城は、長府藩祖の毛利秀元が築城した近世城郭で、雄山城(かつやま城)と称していました。長門国一国と周防国の一部などを領有していた秀元は関ヶ原の役ののち、毛利氏の防長二ケ国への減転封に伴い、長門国西端の豊浦郡一帯を分知されました。※写真/毛利秀元公

慶長七年(1602)に長府に入部した秀元は、長府串崎を城地に選定しました。串崎は海に突出した半島状の地形で、北、東、南の三方を海と断崖が取り巻く要害となっていました。

室町時代、大内氏の家臣である内藤氏がこの地に城を築き、配下の勝間田氏が城主となって長府の町を警固しており、秀元はこの旧城部分を主郭として継承し、近世城郭として整備拡大して行ったものと推測されます。※写真/大内義興公(山口県立山口博物館所蔵)

この城は、元和元年(1615)の一国一城令により破却され廃城となりましたが、軍事的な要地であったことから、幕末には関見台台場と城山台場の二つの砲台が築造されて攘夷に備えました。しかしながら、元和元年(1864)の下関戦争で真っ先に砲撃を受け、瞬く間に破壊されています。

なお、秀元は廃城後は三の丸に相当する位置(豊浦高校の敷地一帯)に館を構えて居所と藩庁として、長府藩の領国経営を行いました。この天守台の石垣は長府のシンボルとして整備を行ったものです。

気になっていたクジラのモニュメントですが、柵で封鎖されていて中には入れませんでした。この展望台が使えたら嬉しいんですけどね。

●豊功神社

城内の西端に御鎮座されている「日本一の初日の出 豊功神社」登ってみましょう。

御舟手海岸と呼ばれる海岸線から瀬戸内海が一望できる場所にある豊功神社。御祭神は歴代長府藩主と応神天皇。確かに初日の出詣でにはいい場所です。

御城印

御城印は、長府にある「下関市立歴史博物館」にて販売されています。

周辺の歴史観光スポット

下関市立歴史博物館

個人的に常設展示物と企画展を楽しみにしている博物館の一つです。平日月曜日が休館日で朝9:30〜入館16:30まで。国道から少し離れていますが、毛利庭園や功山寺などに近いので、逆に便利です。暑い夏場は特に休憩にぴったりです。

功山寺

幕末の時代、高杉晋作公が奇兵隊を結成し「功山寺決起」をした場所として有名な場所です。下関市立歴史博物館のすぐ向かい側にあります。

境内には「高杉晋作公の騎馬像」や毛利家や幕末維新の志士たちのお墓、大内義長公のお墓もあります。

土肥山城趾

国道2号線から下関市立博物館へ向かう小道の途中にある侍町。その住宅地の中に小さな土肥公園があり、その一画に石碑「土肥次郎実平之城趾」が建っています。現在は造成宅地化されましたが、この丘陵地帯にあったお城の事です。

平家滅亡後、長門国では壇ノ浦合戦に参加した「源範頼」が守護の任に就きました。つづいて「土肥次郎実平」が総追補使となり長門へ入り、この山に居城し平家の残党追補と長門國の鎮撫にあたったことから「土肥山」と呼ばれるようになりました。土肥氏は後に備後守護に任ぜられ、後世、毛利三家の一つ「小早川家」の祖となりました。長門國は、佐々木高綱公が守護職となり入府、以後17代まで続きました。

長門二ノ宮 忌宮(いみのみや)神社

御祭神は仲哀天皇、神功皇后、応神天皇。第14代仲哀天皇が九州の熊襲後平定の為に西下、穴門(長門)豊浦宮を興して七年間政務を取られた場所に御鎮座されています。こちらでは、毎年八月七日より十三日にかけて名物の夜祭り「天下の奇祭 数方庭(すほうてい)祭」があります。(山口県の無形民俗文化財)このお祭りは1800年の歴史を誇る名物です。

由来は、第十四代仲哀天皇の時代、この豊浦宮が置かれました(仮の皇居)。九州の熊襲を煽動して新羅の塵輪が攻め寄せてきました。大変な苦戦をしましたが、最後に仲哀天皇自ら弓を引かれ、敵の大将である塵輪を倒しました。賊軍が血色を変えて退散すると、人々は矛をかざし旗を振って歓喜のあまり踊り廻ったと言われています。これが由来となりました。

塵輪の首を斬ってその場に埋め、大きな石で覆いましたが、塵輪の顔が鬼のようであったことからその石を「鬼石」と呼ぶようになりました。数万庭もこの「鬼石」を中心に行われます。

乃木神社

乃木希典公ゆかりの神社です。乃木希典公は陸軍の軍人さんで日露戦争における旅順攻囲戦の指揮を取られた事で知られる方です。その他にも幕末から明治にかけての戦場でのエピソードも有名です。

こちらには乃木ご夫妻の銅像と飲み水に使われた「御神水」の井戸があります。長府にもおられたので、ゆかりの場所も多々あります。

維新発祥の碑

国道2号線から246号線へ入ってすぐ鳥居前通りとの三叉路にある「維新発祥の地」の碑石があります。

●JR西日本 長府駅

駅舎は新しくて綺麗なJR長府駅。1階が待合室でお店は無かったと思います。駅前から大きい国道2号線へ出て下関駅行きのバスに乗って向かうか、JR下関駅から小月行きバスに乗れば目的地に着きます。