【福井県】越前68万石 結城秀康公の居城/福井市福井城

 JR福井駅から歩いで数分の場所にあります。訪れたこの日は、桜が満開の時期で夜桜のライトアップされていました。お城の石垣の周りにはお堀が囲み、水面に映る桜の木が優美で綺麗でした。

 天正三年(1575)織田信長の家臣であった柴田勝家公が北ノ庄城を築き、城下町を整備し現在の福井市の基礎を築きましたが、羽柴秀吉公によって攻め滅ぼされてしまいました。続いて丹羽氏、堀氏、青木氏が相次いで城主になりましたが、短期間で終わります。そして慶長五年(1600)十二月、結城秀康公が越前に封ぜられます。関ヶ原の合戦後、外様大名(豊臣側)であった前田氏や上杉氏を牽制する必要があったためで、越前を任された秀康公は越前松平藩の藩祖として後の福井を担いました。

 明朝の福井城です。昨夜とは違って本丸に県庁舎が建ち、雰囲気は「あれ?」という感じになりましたが中へ進むと結城秀康公の勇敢な騎馬像がありました。

結城秀康公 天正二年(1574)〜慶長十二年(1607)

 結城秀康公は徳川家康公の二男ですが、豊臣家に次いで結城家の養子となりました。「秀康」という名は、ご想像した通り秀吉の秀、家康の康から一字をとったものです。翌年の慶長六年五月、秀康公は関東結城から越前に入国するとまず、北ノ庄を城地と定め北ノ庄城の改築を始めました。

 福井城(北ノ庄城)は、旧吉野川を百間掘(とても広いお堀)として利用し、東側には掘削して新川をつくり、この新川と足羽川を最外郭として本丸、二の丸、三の丸、四の丸と幾重にも水濠を施しました。西側や北側も掘削し侍屋敷や商人達の住まいとし、本丸と二の丸は徳川家康公みずから縄張りしたと伝わります。※諸説あり。故地である下総(茨城)結城の巴城形態のように総曲輪にするべく、城北の松本村に城下町を再整備工事に取り掛かりましたが、病で亡くなってしまいました。享年34。

福井の名の由来

 結城秀康公が亡くなり、次いで松平忠直公が二代藩主となりますが、乱行奇行のあまり元和九年(1623)に豊後国へ流罪。翌寛永元年、続いて藩主になったのは忠直公の弟である松平忠昌公。これを期に「北ノ庄の名は敗北に繋がる」などの理由で「福居」と名付けられました。「天守閣脇にある福の井戸から名付けた」「足羽社五徳の一つである福井(サクイ)神から」などではなく、「福井」と改められるのは元禄十四年(1701)になってからの事でした。

 城内へさらに進むと天守台と「福の井」がありました。昭和23年の福井地震で、いたるところが崩れ「福の井」も歪んでしまったため井戸枠が作り変えられ周りも再整備され現在に至ります。

 こちらは天守台からの眺め。他のお城に比べ石垣が低いのですが、多くのお堀で防御力を高めたんでしょう。入城料もいらず自由に散策できます。

 桜の季節は一面、桜の花で埋め尽くされます。こんなにお城で桜たちに囲まれたのは初めてでした。ちなみにこの日は4月10日。

西日本の開花から半月ほど遅れて開花しますので、桜を撮りに旅行されている方も多く見かけました。

●二度の大火と天守

 一応城下も完成してホッとしたのもつかの間、二度にわたる大火が福居を襲います。一度目は万治二年(1659)、大名広小路から城西の旧市街を焼きました。その後、城内にあった寺院を北部に移して西御堂寺町や田原寺町をつくり復興するかと思われましたが、二度目の大火。十年後の寛文九年(1669)勝見永雲寺門前より出火、炎は天守閣を含めた福居城のほとんどを焼き尽くしたのち、さらに燃えひろがり焼失家屋は3579軒。推測ですが、それから福「井」と改められたので、この大火と関係があるのかもしれません。

 二つの大火に共通するのは「四月」と「フェーン現象」。お城の南東部から出火し、風にあおられて炎は瞬く間に大火へ。幕府が五万両を融通し城の復興を手助けしたおかげで寛文十二年にお城は竣工しましたが、天守閣のみ再築の許可がおりず天守閣なしのお城になりました。

 明治四年、廃藩置県により福井城一帯は兵部省、次いで陸軍省の管轄となり松平家も東京へ転居しますが、明治二十三年に再び城郭地一帯は松平家に払い下げられました。現在は県庁舎が建つ本丸だけが残っています。

城内の案内板にVRアプリのQRコードがありましたのでダウンロードして在りし日を楽しむ事もできます。

周辺の施設

●福井市立郷土歴史博物館

福井城から近くにあります。ジオラマもあり、左手前に白い天守がありますね。福井城の御城印もここでいただけます。

 「福井城」の文字は、福井藩十六代藩主、松平春嶽公の筆跡からとったもので、家紋は福井藩主松平家の家紋「三つ葉葵」。明治初年の福井城本丸の古写真を背景に使っています。

 正門横に松平春嶽公の像がありました。中はあまり大きくはありませんが、福井市の歴史がわかります。戦国以前の新田義貞公などの項目もありました。

福井県立歴史博物館

こちらは少し離れた場所にあるので公共交通機関を使いました。どちらかというと古墳時代や近代の歴史展示物が多いです。クラシックカーなどの展示もありました。

●JR福井駅

福井県と言えば「恐竜王国」ですね。平成28年には北陸新幹線金沢開業に伴い、動く恐竜モニュメントが登場し恐竜王国への玄関口として訪れた人を驚かせています。

夜もライトアップされていて迫力満点です。

こちら福井駅の名物といえば、赤いパッケージの「かにめし」です。

ご飯の上にはカニ肉がびっしりです。日本海側ならではのご馳走です。

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