【島根県】国宝天守の日本三大湖城/松江市 国宝松江城

別名千鳥城と呼ばれる松江城は、日本に現存する12天守の一つで山陰地方唯一残る天守閣。また、宍道(しんじ)湖畔に建つ日本三大湖城(膳所城・高島城・松江城)としても知られています。

内濠には遊覧船乗り場があり、小舟に乗りお城の周りを遊覧できます。特に秋から冬にかけてカモなどの渡り鳥が飛来しており、情緒あふれる雰囲気が味わえます。

国宝の現存天守らしく当時を偲ばせる黒く重厚な天守閣。周りには刀を手入れする際に使用される椿油の木が多数植えられています。正面入口から靴を脱いで天守閣の中へ入ります。

お城の内部は他の復興天守や資料館と違い、古井戸や城を支える柱・梁がむき出しの状態で、お城好きが唸る内部です。築城には廃城となった月山富田城の木材が流用されました。その史料も展示されています。

壁には鉄砲を撃てる穴が空いており、わかりやすく解説してあります。

侍たちも見た現存天守からの景色は気持ち的に違います。

すぐ近くには大きな宍道湖と城下町が広がっています。冬の出雲は晴れた日が少なく雪の日が多くなりますが雪景色も見てみたいです。

後藤又兵衛の甲冑と槍

その他、城内には後藤又兵衛の所用していた甲冑と槍が展示されています。ハートマークが印象的ですが、【猪の目】と言われ魔除けや福を招く日本古来から使われている文様で松江藩の合印でもあります。

後藤又兵衛は、黒田長政に仕えたのち豊臣秀頼公の家臣となり大阪の陣で戦死しました。この甲冑は弟が所持したのち後藤家の親戚で松江藩士の土岐円大夫家に伝来しました。

松江城の歴史

元来この地は標高28mの亀田山という丘陵地帯で、南北朝時代の頃より佐々木一族の末次氏が末次城を構え治めていました。

天文元年(1532)尼子経久公の三男である塩冶(えんや)興久が、父に背き末次城を攻めました。しかし尼子の若林伯耆守が守り抜き撃退しました。写真:尼子経久公像(安来三日月公園)

元亀元年(1570)、尼子再興軍の大将尼子勝久公が出雲で挙兵した際、真山城から本営を末次城へ本営を移しましたが、毛利軍に攻められて陥落。

慶長五年(1600)十一月、関ヶ原の合戦の功績のあった堀尾忠氏公が出雲と隠岐両国二十四万石を与えられ月山富田城へ入城しますが、山城特有の地形に不便さ(大砲などの近代戦に不利・城下町を形成できない)を感じ新しい城に最適な地を探します。写真:月山富田城(安来市)

慶長九年忠氏公が病没し二代吉晴公が跡を継ぐと、かつて末次城があった亀田山に慶長十二年春に起工、十四年に松江城は完成。堀尾吉晴公が城主となりますが十六年に亡くなり、跡継ぎがいなかったため改易。次に入部した京極忠高公も同じく無嗣で改易。

その後、松平直政公が入城し以降十代215年松江藩は続き明治維新を迎えました。直政公は勇敢な武将として知られ大阪の陣で活躍しました。写真:松平直政公像(松江市)

真田丸の戦いでは、真田昌繁公にその奮戦ぶりを褒められ軍扇を投げ渡されました。その軍扇は松江城内にて展示されています。また剣聖宮本武蔵を松江に招き、道場にて剣術の指導を仰ぎ弟子入りしたとされます。写真:真田丸跡(大阪)

幕末時代

幕末時代、家門(徳川家)である松江藩は新政府より山陰道鎮撫を任された鳥取藩(藩論は勤王)により厳しく訊問されましたが、執政大橋筑後の尽力で鎮撫使に勤王誓書を提出した事で事なきをえました。九月に神谷浩之助富雄を隊長とする四百人が秋田口へ出兵し、新屋、十二所と進軍、酒田の警護も勤めました。

明治時代

明治四年(1871)四月、松江城の廃城が決まり、八年に釘や鎹など金物が目的の入札が始まりました。木材は燃やされ、石材も壊され松江城は失われる寸前でしたが、この危機を救ったのが、元松江藩士高城権八と豪農勝部本右衛門家の人たちでした。写真:廃城命令書(松江城内)

松江城を管理して居た陸軍広島鎮台の斎藤大尉と会い「入札と同金額(180円)を納めるから、狭て天守閣だけでも残して欲しい」と懇願しました。

その甲斐があり松江城天守閣は存続する事ができ、現在も現存十二天守の一つとして観光客が絶えません。

平成二十七年七月八日松江城天守は国宝に指定されました。

御城印

国宝松江城の御城印は松江城内の観光案内所で販売。

尼子十旗御城印

松江城駐車場にある遊覧船乗場の堀尾吉晴公ラッピング自販機には、尼子十旗と称される御城印が販売されていました。ボタンを押して御将印が入った缶が出てくる際に音声が流れます。

御将印

松江城内二の丸にある観光案内所にある堀尾吉晴公のラッピング自販機では、御将印が500円で販売されています。ボタンを押して御将印が入った缶が出てくる際に音声が流れます。

御朱印

松江神社

松江城内に御鎮座されている松江神社。母親に抱かれる可愛い赤ちゃん狛犬がいます。

松平直政公・徳川家康公・松平治郷公・堀尾吉晴公が祀られいます。

松江護国神社

お城の裏側に御鎮座されている松江護国神社。

周辺の立ち寄りスポット

松江歴史館

松江城の近くにある「松江歴史館」。営業時間は9:00~17:00(受付16:30まで)休館日は、毎週月曜日と年末年始。入館料は700円

文字通り松江の歴史に関する展示物があります。写真はレプリカの甲冑たちです。

観覧した日は東京五輪開催の前でしたので、前回の東京五輪の時に使用された聖火トーチが展示されており、手に持って記念撮影が出来ました。今は無いと思います。

武家屋敷

内濠をグルッと回ると、江戸時代の城下町には無くてはならない武士屋敷もあり、武家になったつもりで見学できます。

小泉八雲記念館(居旧宅)

武家屋敷の隣には、小泉八雲旧宅があります。小泉八雲ことパトリック・ラフカディオ・ハーンは、40歳の時に記者として明治二十三年(1890)日本を取材するため来日。四月に横浜に着いたあと、八月に松江中学の英語教師として松江に赴任。小泉セツと結婚。

翌年十一月に、熊本に転任しました。明治二十九年(1896)に日本に帰化し小泉八雲となります。帝国大学(東京大学)講師となり明治三十七年(1904)急逝。その年刊行された「怪談」の耳なし法一にて広く知られるようになりました。

ご当地ソフト

こちらのご当地ソフトは「ほうじ茶ソフト」でした。

JR西日本 松江駅

JR松江駅は出雲市駅と違い、近代的な建物で寝台列車「サンライズ出雲」の停車駅でもあります。駅前に観光案内所があります。

JR西日本出雲市駅

神話の国出雲らしい駅舎の出雲市駅。なんといっても大きな屋根に感動します。こちらもサンライズ出雲の停車駅です。

駅内には駅ピアノや観光情報、駅弁やお土産屋さんもあります。

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