三重県松阪市にあるJR東海の松阪駅。三階建の大きな駅舎で昭和感が漂います。正式な読み方は「まつさか」なんですね。滋賀県の甲賀(こうか)と同じで濁らせて読んでいました。駅前には「驛鈴(えきれい)」と呼ばれる大きな四角い置物があります。
この『驛鈴』と呼ばれる松阪市のシンボルのようです。「伊勢国飯高郡松坂本町に生まれ、『古事記伝』を著した国学者本居宣長(1730〜1801)ゆかりの遺品『七古鈴』の一つである『驛鈴』と呼ばれる物を模ったものです。宣長は、山桜と鈴をこよなく愛した人です。
この『驛鈴』は、宣長の『源氏物語』講釈を聴くため松坂を訪れた石見国浜田(現在の島根県浜田市)藩主松平康定から寛政七年宣長に贈られたものです。その原型になったものは、現在島根県隠岐の島町の玉若酢命神社に所蔵され、国の重要文化財に指定されています。」
私たちが一般的に松阪と聞いて思い浮かぶのは、野球選手とこちらの松坂牛ですね。正式名称は「まつさかうし・まつさかぎゅう」。こちらも、まつざかぎゅうと言っちゃってましたね。こちらにも先ほどの驛鈴が描かれています。
隣の観光案内所には「松坂城の御城印」や松坂城初代城主「蒲生氏郷公の武将印」などグッズや散策マップなどが入手できます。
いざお城へっ!と向かいます。駅から徒歩15分で着くようです。
駅前商店街を抜けた先の信号交差点を右折して進み、二つ目の信号を左折すると、松坂城が遠くに見えてきます。途中に松坂市役所が右側に見えてきます。
市役所の一画にかつては『松坂城大手門跡』があったようです。『松坂城には、出入口が4カ所(大手口、搦手口、同心町南口、五曲口)あり、それぞれに城門がありました。
お城の表玄関に当たる大手口には土塁や石垣が築かれ、門が置かれた出入口は前後の通路と食い違いになって、敵がまっすぐ城内に侵入できない構造になっていました。このような造りを『食い違い虎口』といいます。』
天正十二年(1584)南伊勢12万石の大名となった蒲生氏郷公が、天正十六年(1588)標高38mの丘陵「四五森(よいほのもり)」に築かれたお城「松坂城」。秀吉公の命により石工のプロ集団「穴太衆(あのうしゅう)」が加わり、わずか三年という短期間で築城されました。自然石を使った野面積みの石垣が見られます。
当時は三層の天守閣の本丸を中心に、敵見櫓、月見櫓、多聞櫓、金箔を使った金の間や門など計11もの建物がありましたが現在は残っていません。残念ながら天守閣も正保元年(1644)台風で倒壊してしまいました。
本丸跡です。築城された蒲生氏郷公は、吉祥の木である「松」の字と、秀吉公の居城である大坂城から「坂」の一字を拝領して「松坂城」と名付けられました。「松坂」と「松阪」、「大坂」と「大阪」。
幕末頃に大坂城の「坂」の字が〝土に返る‘と見え縁起が悪いとの理由で「大阪城」に変更されたましたが、こちらでも明治二十二年から「松坂」から現在の地名「松阪」と表記される様になりました。お城名はそのまま「松坂城」なんですけどね。
城内の一角に松阪市立歴史民俗資料館があり、日本100名城スタンプや御城印のほか城郭めぐりスタンプもありました。ただ閉館時間が早いので注意です。
【営業時間】4月〜9月までがAM9:00からPM4時30分まで。10月〜3月までがAM9時からPM4時00分まで。【入館料】150円。【休館日】祝日を除く毎週月曜日、祝日の翌日、年末年始。
蒲生氏郷公は城下町の整備にも取り掛かりますが、わずか二年で会津若松(福島県)へ移封されます。次に服部一忠公が入りますが豊臣秀次事件の件で改易。その次の古田重勝公〜重治公が統治しますが石見浜田へ移り、徳川家康公の十男である徳川頼宣公が紀伊和歌山藩の初代藩主になると同時に和歌山藩領となり明治まで城代が統括されました。
石垣崩落のピンチ(令和四年:更新)
公的機関が石垣を調査した結果、長い年月で一部に崩落する恐れが見られたために、寄附金を募り修復工事を行う事が発表されました(現在は終了)。それは一大事と早速、寄附をしました。
一定額の寄付をされた方へは返礼品という形で、石垣の中に入れる小さな「裏込石」に名前とメッセージを入れる事が出来ました。こちらが「裏込石」。石垣の裏に入れ土台を支え、また雨水などを排水する役目もします。
たくさんの方達が来られてたそうで、その中へ入れて光栄でした。また石垣が完成したら再度、見学に行きたいと思います。
工事完了後に再訪(令和五年:更新)
令和五年七月、工事完成を見に再び松阪駅から訪れました。コロナの影響で大変な生活を強いられましたが、以前と同じ様になられてるか心配でした。駅前には松阪祇園まつりの準備風景が見られました。活気が戻るといいですねと思いつつ、しばらく散策すると
道路標識の図柄が「驛鈴」になってて面白いです。
「殿町」なんて地名もありました。山口県には「侍町」というのもありますけど、なんて風情のある街なんでしょう。
松坂城手前の市役所にある、くり抜きパネルは見事な出来栄えです。いろんな場所にパネルがあって二度見してしまいます。撮って見たいのですが、駐車場にあってちょっと・・・
三度の登城になりますが、松坂城に着きました。天気も上々で爽やかな風が吹いていました。とその先に何か名古屋城のような緑の屋根のお城が見えます。
真ん中に見える立派な緑色のお城。あれは?お店の人に聞いたら、「あれは歯科医さんの建物だよ」と教えていただき更にびっくり。
石垣の改修工事が見事に完成していました。おめでとうございます。左側が再度積み直した石垣なのですが、綺麗に組み直してあります。
近くで見ると、小さく十時線やシールの様なモノが貼ってあります。まずはひと安心。このまま裏込め石も未来永劫一緒にここで暮らして欲しい。
美味しいお肉
タイトルにもある「美味しいお肉」を体験したくて名物を探しました。旅といえば駅弁ですよね。JR松阪駅にもありました。嬉しいのが二つも。
改札口の横に牛のキャラ「モー太郎」くんが売ってます!(奥に見えますね)笑っちゃいました。
松阪牛を使用した駅弁。全国的にも有名ではないでしょうか。百貨店で開催される全国人気駅弁販売会でよく見かけるあの駅弁。
牛のフタを開けるとメロディーが鳴る日本初のメロディ弁当「モー太郎弁当」。私も以前、デパートで買いました。その時は「モ〜!」という牛の鳴き声でしたが、現在は懐かしい「ふるさと」が流れてました。見てください!このお肉の量!ご飯が見えません。松阪名物のすき焼きの上に関西らしく紅生姜がアクセント。価格は1500円。
もう一つは「特撰元祖 牛肉弁当」1500円。元祖というのは昭和三十四年(1959)七月十五日に日本で初めて牛肉(松阪牛)を使い発売されたのがこちらの駅弁だそうで。当時は全国で一番高い150円。以来ロングセラーの人気駅弁でインターネット駅弁博物館で人気No.1との事。これはいただきたいですね。
醤油と赤ワインで下味をつけて網焼きにした黒毛和牛の厚いお肉が二枚。脂身も無くて若い方に人気ではないでしょうか。ハンバーグでもお肉は時間が経って冷めると固くなりますが、美味しかったですよ。ご覧になっている方の地方で駅弁大会があったら要チェックですね。
黒毛和牛の「モー太郎寿司」駅弁です。可愛いサイズでとても美味しかったです。
●和食「松崎屋食堂」さん
松阪駅前の通りを少し歩くと、右側にレトロな食堂がありました。松阪肉のメニューもあるようですね。こういうお店好きなので入ってみました。
見てびっくりの「松阪肉うどん」。こんな大きなお肉が乗ってるなんて日本でここだけかもしれません。麺が見えませんが、下にはちゃんと麺があり肉汁もいっぱい。お値段は1600円ですが、ブランド肉ですからお安いと思います。他にも松阪肉肉丼やステーキ丼などもありました。思い出に残るメニューだと思います。右横にある紙はお肉の証明書付き。
ご当地名物アイス
松阪駅の構内にある観光お土産屋さんに面白いアイスが売っていました。「松坂牛 牛脂アイス」。「えー脂?」と何度も見返しましたが確かに表記されています。価格は500円。牛乳と生クリームでできたアイスに松坂牛100%の油脂が配合されてます。少し甘さを抑えたバニラアイスで美味しかったです。
商店街などのお店を見る楽しんでみるのもいいですね。