【三重県】花将軍と最古の石垣/建武十五社 社 北畠神社

 三重県津市美杉町多気に御鎮座されてる北畠神社。こちらには南北朝時代と言われる約60年の騒乱で、後醍醐天皇の南朝側(宮方)と足利尊氏率いる武家方が戦った「太平記」ゆかりの神社であり建武十五社の一社です。建武十五社とは、第96代後醍醐天皇が目指された「建武中興」(建武の新政)に共感し、共に戦った忠臣たちが祀られた神社の事で全国に十五箇所あります。

北畠神社 御祭神:北畠顕能公、北畠親房公、北畠顕家公。

 朱色の鳥居が綺麗です。林業が盛んな美杉町に御鎮座されています。雑踏もなく静かで心が穏やかになります。代々天皇の側近であった北畠顕能公は、第96代後醍醐天皇より伊勢国司に任ぜられ下向され、賊軍となった足利軍との戦いを手始めに攻め寄せる多数の豪族たちから伊勢を守った武将様です。父は北畠親房公、兄は顕家公。

 とても朱色の綺麗な御社殿です。足利高氏勢の大軍との戦いで多くの城を奪われ劣勢になる顕能公。興国四年(1343)不利になる平地から伊勢街道の要所で四方が天然の要害である多気へ拠点を移し態勢を整えます。正平五年(1350)、永く宿敵だった高師秋との対決に勝ち正平七年に京都奪回の快挙を果たされました。この地にあった北畠氏の館は北畠御所とも呼ばれていました。

御社殿のある辺りに見事な庭園と北畠氏の館があったとされています。庭園は今でも有料で見学できます。紅葉の名所だという事で秋には沢山の来園者が訪れます。

中世の城や館で使われた日本最古の石垣

 こちらには。中世の城や館で使われた石垣の中では、日本で最も古い石垣があります。それも見たかった物の一つです。

 そのままの姿で残っています。今から550年前の石垣(1400年代)。説明文にもある通り、レーダー調査では長さが80メートルにも及ぶ壮大な石垣だったようです。近代城郭にある排水するための小さい裏込め石はありません。石に生えた苔が長い年月を感じさせます。

そして横には、顕能公の兄である花将軍「北畠顕家公像」があります。ちなみにポケモンGOのポケストップになっています。

 神社の鳥居をくぐるとすぐ「霧山城跡」への案内標識があります。登山口から40分くらいで着きますが、舗装されていない山道はかなり急でジグザクです。霧山城は天正四年(1578)織田信長の軍によって落城し、二百四十年にわたる伊勢北畠氏は幕を閉じました。

霧山城の歴史

霧山城とは、南朝の忠臣北畠親房公の子である顕能公が康永元年/興国三年(1342)に築いて以来、8代具教公まで伊勢国司北畠氏の本拠地となったお城です。ここを中心に田丸(玉城町)、大河内(松坂市)、坂内(松坂市)、藤方(津市)、木造(津市)などに一族を配置して南伊勢に強大な北畠王国を築きました。

お城は海抜560mの霧山の山頂に築かれました。現在でも土塁や堀切の跡が見受けられます。普段過されていたのは、現在の「北畠神社」の境内にある「北畠御所」でした。

永禄十二年(1569)、伊勢国を揺るがす出来事が起こります。織田信長公の伊勢領内への侵攻です。具教公は大河内城に籠って頑強に抵抗したため、流石の織田軍も攻めきれず次男の信雄(のぶかつ)を具教公の養子にする事で和睦しました。しかし、天正四年(1576)北畠信雄は養父の具教公を暗殺したのち、霧山城を焼き討ちされ北畠氏は滅亡してしまいました。

周辺スポット

雪姫亭

神社の横にひっそり佇む庵・お食事処「雪姫亭」。雪姫のようなかわいい店員さんがおられました。

食欲をそそられるご当地メニューです。店内は狭いですが、北畠氏館関係の展示物もあり販売もされています。是非寄ってみて欲しいお店です。

こちらは人気のカレーうどんです。季節を問わず人気のメニューです。

●津市美杉ふるさと資料館

 北畠神社近くにあるこちらの施設では、元気で面白い職員の方が丁寧に教えてくれます。多気北畠氏館のジオラマや甲冑など展示物があり詳しく学べる資料館です。

道の駅 御杖

 三重県の名張方面から北畠神社へ向かう伊勢街道の途中にある道の駅です。バイクのツーリングコースでもあるので休日ともなるとバイクが数十台並びます。キャンプに使う薪からお弁当、温泉まである便利です。こちらの施設がある交差点から曲がり北畠神社へ向かえます。ちなみに向かい側にある「どんどん」という食堂も安くておすすめです。

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