【東京都】井伊藩の江戸菩提寺と招き猫/世田谷区 豪徳寺

以前、滋賀県彦根市の彦根城をおとづれた時にも触れた「ひこにゃん」。そのモデルとなった猫を求めて、東京都にある「彦根藩の江戸菩提寺である豪徳寺」を訪れました。彦根城はこちら

小田急電鉄小田原線 豪徳寺駅

豪徳寺駅から通りに出てまず目に入るのが「招き猫像」。駅名の豪徳寺に因んで平成二十二年に建立されたと書いています。いつも人に囲まれて写真撮られています。駅前通りを豪徳寺へ向かって進みます。

大谿山豪徳寺(曹洞宗)

大谿山豪徳寺は、寛永十年(1633)にここ世田谷が彦根藩の所領地となり既にそこにあった文明十二年(1480)に建立されました「弘徳院」を、彦根藩主井伊家は、江戸菩提寺と定めた。

その後、万治二年(1659)二代藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因み豪徳寺と改称され、大名家墓所に相応しい伽藍を整え現在に至る。それは、江戸時代の大名墓所をよく保存し、江戸周辺では最大規模の国指定史跡となっている。

そこには仏殿、灯篭、鐘楼は創建当時のもので、広大な敷地内に法堂、開祖堂、書院、招福殿、三重の塔、地蔵堂、種月園(枯山水)や井伊家の歴代の墓があって、世田谷を代表する古刹である。

また、この寺には、二代藩主井伊直孝が鷹狩りの折、住職の愛猫「たま」の招きで、落雷を逃れたという伝説があって、豪徳寺の「招き猫」は幸運を招くとされ、家内安全、商売繁盛、心願成就を願う招福殿への参拝者が多い。」写真:招福殿入口にある招福猫児

こちらの推しはズラーッと並ぶ「招き猫」。招福殿の横にスマホを持った人で溢れています。大きさも色々置いてあります。

招福殿から少し奥へ進むと井伊直孝公墓所があります。花をお供えしてきました。

こちらの墓所の全体図です。二代藩主井伊直孝公から六代直恒公、九代直禎公、十代直幸公、十三代直弼公までの歴代藩主と井伊家のお墓が並んでいます。

社務所もあり、お守りなどいろいろ販売されています。

御朱印も販売されていました。

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