戦国時代の名将伊達政宗公や蒲生氏郷公の居城だった会津若松城の福島県会津若松を訪れましたが、もう一つ巡りたい場所がありました。過去掲載分の熊本県南阿蘇編で知った「会津藩士佐川官兵衛さん」の墓所を訪れること。
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JR東日本 会津若松駅

まずは会津若松駅から。赤べこちゃんと白虎隊さんにご挨拶をして、いざ喜多方へ。

新潟方面へ伸びる磐越西線の列車に乗り、6駅目にある喜多方駅へ向かいます。

早朝でしたので眠気覚しのコーヒーを飲みながら案内役の赤ベコちゃんを連れて出発です。
車窓

会津というと辺り一面の雪景色をまず思い浮かべますよね。ですので雪がない夏季は一体どんな景色なんだろうと思ってましたが、夏真っ盛りの八月の会津は緑一色のとても美しい景色が広がっていました。

暑そうに見えるでしょうが、意外に風が冷たくて涼しいんです。奥に見える磐梯山から降りる風のせいでしょうか。
JR東日本 喜多方駅

JR喜多方駅へ到着。赤べこちゃんとラーメンとSLの絵がお出迎え。

その横には「漢字のまち喜多方」というポスター。街のあちこちに「古代文字」とあります。下には一般公募の創作漢字とあります。古代文字でまちづくりに取り組んでいるようです。

ホームの温度は八月初旬なんですが、30度を下回っています。朝なのでこれから上がるのでしょうが、これなら涼しいので快適に散策できます。

「歓迎よぐきらったなし。」ようこそいらっしゃいましたという意味だそうですが、〝嫌った〟と勘違いしちゃいそうです。

赤いレンガ造りの駅舎がレトロな雰囲気の外観、左側には観光案内所があります。

【喜多方駅の駅由来】飯豊(いいで)連峰を間近に仰ぐこの地は、山々に囲まれた地勢と、会津盆地の北部にあることから、藩政時代には「北方(きたかた)」と呼ばれていました。出羽(山形)や越後(新潟)への街道筋にあたり、周辺村落の物資の集散地となっていき、やがて地場産の物品を原料とした手工業が発達していきました。

飯豊山麓の良質な木材と、盆地の気候条件が制作に好適であった漆工芸をはじめ、会津米と飯豊の伏流水を利用した酒造業、味噌や醤油などの醸造業、会津桐の木目の美しさを生かした桐工芸などが盛んになり「北方」は、会津藩内有数の商工業都市として賑わいました。

明治八年、五つの村を合併して町制を施行した際、「北方」という名は喜び多い町という意味の「喜多方」に改められました。この地名の由来を受けて明治三十七年(1904)一月二十日、岩越鉄道(現在の磐越西線)が当地に開通した時、喜多方駅が開業しました。数多くの産業が栄えた喜多方には、現在も約4000以上の蔵がある事から名物にもなっています。

一際目立つ「会津唐人凧」。戊辰戦争時、官軍の攻撃を受け陥落寸前の鶴ケ城(会津若松城)から突然、会津唐人凧があがりました。敵にはまだ余裕があると思わせるために、子供達が一生懸命に凧をあげ続けたそうです。

さて、朝早いので駅前のお店は開いてません。お腹ぺこぺこ状態、コンビニに行こうかなと思っていたら….
名物 喜多方ラーメン

駅前通りのラーメン屋「櫻井食堂さん」が営業していました。仕込みがあるため大体ラーメン屋さんはお昼前の開店が多いですが、朝9時の段階ですでに開店していましたのでびっくり。看板には〝元祖蔵ラーメン〟という老舗のようです。その名の通り蔵のような外観です。

メニューもいろいろありますね。どれにしようかな。あとで知ったのですが、喜多方には工場などが多くあり、夜勤帰りの方々の空腹を満たすため朝早くから多くのお店が営業しているそうです。駅前通りをすぎた辺りにもラーメン屋さんが開店していました。

蔵ラーメンの醤油味を注文してみました。ゆで玉子、お肉、わかめ、コーン、しなちく、なると、生姜、いろんな具がぎっしり入っていて850円。きっと寒い地方なので血行がよくなり温まる生姜入れるんでしょうね。流石にお腹いっぱい。朝ラーは初めてでした。
しだれ桜散歩道

とても涼しそうな散歩道に出会いました。春にはしだれ桜が満開になるんでしょうね。見てみたい。会津では4月中旬頃から桜のシーズンのようです。
会津藩士 佐川官兵衛

佐川官兵衛さんは天保二年(1831)会津藩士であった佐川直道の子として生まれました。武芸に秀でたことから、主君松平容保公が京都守護職を拝命するとそれに従い上洛し、新たに組織された別撰隊を率いて京の町の警固にあたった。

戊辰戦争が始まると鳥羽伏見の戦いののち江戸〜会津へと戦場が移る間も各地で勇猛な戦いを繰り広げ「鬼佐川」の異名をとった。会津戦争に突入すると藩士たちを率い城外に出て、死闘を繰り広げながら転戦した。写真:鳥羽伏見の戦い

明治時代には東京警察本署(のちの警視庁)に出仕、西南戦争がはじまると巡査隊を率いて参戦したが、明治十年(1877)阿蘇山中で戦死。45歳。写真:佐川官兵衛終焉の地(熊本南阿蘇)

終焉の地となった南阿蘇明神池には佐川官兵衛記念館が建っています。(訪れた時は)記念館を管理する人がおらず休館していました。

喜多方駅からタクシーに乗ってマップを見ながら山奥へ進み散々探しました。きっとあの林の向こうにあるはずなんですが、山道に入れず佐川官兵衛さんの墓所がある長福寺さんを見つけられませんでした。でもタクシーの運転手さんが親身になって周辺の人達や会社の人に無線で尋ねてくれて、とても感謝しています。本当にありがとうございました。
喜多方のお祭り

駅のポスターを見かけました。喜多方駅前の通りをまっすぐ進んだ先に御鎮座されてます。沢山の山車でしょうか。大変大きなお祭りのようでお酒のお神輿もありますね。






















