【滋賀県】豊臣秀吉公の出世城/長浜市長浜城

長浜駅の改札口を抜けると天守が見えました。ちょうどお花見シーズンで城内は桜が満開。JR長浜駅の前にあり、アクセス抜群の「長浜城」

滋賀県長浜市公園町にあるこの長浜城は、令和四年春に耐震化工事が終わり再オープンしました。お城の中は歴史資料館になっていて、天守閣で展望もできます。

長浜城は織田信長公の家臣、羽柴秀吉公が姉川の合戦で小谷城を落城させた後、その功により浅井氏の旧領を与えられ築城しました。天正二年(1574)小谷城が不便な山城のため廃城にし、部材や城下町を転用させました。

築城は安土城と並行して進められ、お互いの城を水運で結び、安土北方の守りとして水軍も編成、水門も造り水城としての役割と共に湖北経済の中心にするために大規模な城下町経営を信長公は行いました。

元々、こちらには六角氏の家臣である今浜氏の居城があり「今浜」と呼ばれていました(佐々木道誉が水運が必要と考え築城)が、新しい城を建てた際に秀吉公は、織田信長公の「長」をとって「長浜」にしたと伝えられています。

天正八年以降、中国征伐のため秀吉公は長浜城を離れ姫路城を本拠としました。本能寺の変後の「賤ヶ岳の合戦」の前哨戦、柴田勝家公と間で激しい闘いの舞台になった長浜城。その後城主には秀吉側に属した柴田勝豊公に移り、関ヶ原の合戦後には内藤信成公が入城しますが、元和の一国一城令により廃城。長浜城の石垣と建物は彦根城へ水運で運ばれ転用移築されました。

現在の天守は昭和58年に建てた模擬天守で、当時天守閣があった裏手には、秀吉公の像と共に石碑が建てられています。彦根城にあった山崎曲輪三重櫓が移築された天守だったのでは?とも説もありますが、明治維新後に破却されたため現在ではわかりません。

ただし彦根城に現存する左右対称の天秤櫓(写真)は長浜城から移築された事は判明しています。

当時使用されていた「太閤井戸」が現在でも遺されています。裏手の湖の岸ギリギリの場所です。

先にも石垣などがあったそうですが、侵食されて現在は湖の底に眠っています。足場が柔らかな場所があるので転ばないように気をつけてください。

ひょうたん

秀吉公の旗印が「ひょうたん」なのでいたるとこにひょうたんがあります。探して見ては?

●御城印

御城印は長浜城1階の受付にて販売されています。左は、再オープン時に期間限定で販売されていた「黄金切り抜きver」※もう販売されていません。右が「通常ver」御城印です。天下人となった秀吉公が書いた書から抜き取った文字だそうです。長浜市は比較的イベントが多く、度々期間限定のものが販売されています。

 

周辺の施設

●豊国神社・恵比寿宮

長浜駅から歩いて数分の場所にある、言わずと知れた豊臣秀吉公を祀る神社「豊国神社」。御祭神は豊臣秀吉公、加藤清正公、八重事代主命、木村長門守重成公。慶長三年(1598)太閤が逝去されると町民たちの願いで建立しましたが、江戸時代になり太閤を神格化するとこが禁じられたために取り壊され、秀吉公の御神像は町役人の家々で守り継がれました。

その後寛政五年(1793)に「恵比寿宮」の建築許可を受け、奥に密かに御神像を安置して秘かにお祀りしていました。現在の社名は明治維新後に晴れて復帰した名称です。

賤ヶ岳の七本槍の一人加藤清正公の像が守ってますね。清正公は東軍でしたが、豊臣恩顧の武将でした。

●興福山徳勝寺(曹洞宗)

長浜駅から歩いて20分くらいの場所にある徳勝寺。応永年間(1394〜1428)通峰真宗和尚により開基。元は「医王寺」と号して今の東浅井郡湖北町上山田にありましたが、永正十五年(1518)小谷城主であった浅井亮政公が城下の清水谷に移して浅井家の菩提寺としました。

浅井亮政(すけまさ)・久政(ひさまさ)・長政(ながまさ)浅井三代のお殿様のお墓が並んでいます。今年(令和四年)は浅井長政公の450回忌にあたります。合掌。姉川の合戦により小谷城落城後、湖北を掌中におさめた豊臣秀吉公が、その居城を小谷から長浜へ移した際に合わせて文録四年に長浜城内に移築され、亮政の法号に因んで「徳勝寺」と改称されました。慶長十一年、長浜城主内藤信成公が一旦田町(現朝日町内)に移築、寛文十二年彦根藩主井伊直孝公により現在の場所に移されました。

長浜鉄道スクエア

長浜駅のすぐ隣にSLが顔を覗かせている建物があります。

現存する日本最古の駅舎で明治15年(1882)に当時の新橋駅を模して造られた洋風二階建。館内には長浜は鉄道文化の資料展示や模型などがあります。

焼鯖そうめん

長浜名物と言われている郷土料理です。焼鯖が乗ったお素麺。長浜城の通り沿いに数軒お店があります。

JR長浜駅

シンプルで近代的な造りですがお城の雰囲気がありますね。裏手にはバスロータリーやお店が並んでいます。

●秀吉公と石田三成公の出逢いの像

バスロータリーにある像。案内板にはこう書かれています。

「長浜城主の羽柴秀吉公は、鷹狩りの途中に法華寺へ立ち寄りました。汗をかいた様子の秀吉公を見た寺の小姓佐吉少年は、大きな茶碗にぬるいお茶をなみなみと持ってきました。秀吉公がもう一杯頼むと、佐吉は先ほどよりも少し熱いお茶を茶碗半分ほど差し出しました。そこでさらに一杯所望したところ、今度は小さな茶碗に熱いお茶を入れて出しました。秀吉公は、茶の入れ方ひとつにも気を配る佐吉を気に入り、召し抱えました。少年はのちの石田三成公で、この出逢いは「三献の茶」として語り継がれています。

偶然、横を通って停留所へ入ってきた水陸両用車?ツアー。気になりました。今度乗ってみようかな。

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