熊本市南区川尻地区は有明海へ流れる緑川や加勢川の河口に近く、鎌倉時代から江戸時代にかけて貿易船や年貢米の運搬拠点として、明治時代からは軍船の停泊港として多くの商人や職人、力自慢の船員たちで賑わいました。
その当時の名残が今も残っていて、老舗のうなぎ屋、刃物屋、農機具屋、和菓子屋など代々営業している店舗も多く懐かしさを感じる雰囲気。
のんびり散策するといろいろ楽しい街です。近くには河尻神宮や河尻城跡(古城神社)があります。
そんな川尻地区で、「史上最強の柔道王」「力道山と闘った男」として語り継がれる木村政彦さんが生まれ育ちました。ご存知ない方のためにご紹介しますと。
木村政彦さん。柔道七段 大正六年九月十日(1917)〜平成五年四月十八日(1993)75歳没
身長170cm体重85kgと体格的に大きくはあまりありませんが、柔道がとにかく強く全日本選手権13年連続V、天覧試合優勝を含め引退するまでの15年間負け知らず。そのあまりの強さから
『木村の前に木村なく、木村の後に木村なし』と称賛されるほど。
『三倍努力』が信条で練習法も凄く、一日三時間の睡眠以外は柔道の稽古に当て、毎日1000回の腹筋の後に、大木に帯を巻いての打ち込み1000回、そのあと長時間柔道技を練習し、最後に腕立て伏せ1000回で仕上げる。という想像を絶する練習量。まるで宮本武蔵さんのような方ですね。得意技は大外刈り。その速さは稲妻のごとし。寝技や関節技も得意で『キムラロック』という技が今でも使われています。
最近、五輪で金メダルを獲られたマラソンランナーの方も毎日腹筋を2000回していたと伺いましたが、木村さんは十数年以上でしょうか、ものすごいです。小さい頃より近くの加勢川で砂利上げ作業をするお父様を手伝っていた事で強靭な肉体が作られたそうです。めっちゃかっこいい男前です。
道場跡がありました。少年時代ここで修行し、中学時代で柔道四段となり全国中学校柔道大会で優勝、その後学生選手権大会、明治神宮大会高専の部で相次ぎ優勝。壁にはご活躍中の新聞記事が掲示されてました。街頭のテレビに観衆がひしめき合っている写真が衝撃的ですね。
力道山と闘った男
現役を引退されたあと、プロレスラー兼プロ柔道家としてご活躍。海外でも連戦連勝。その中には格闘技ファンなら知らない人はいない柔術家エリオ・グレイシーの名が。『史上最強』の称号は本物。
日本国内に戻り人気プロレスラー力道山との『昭和の巌流島』と呼ばれる対戦をします。が、ここで不可解な負けを喫してしまいます。それが発端で騒動となりそれ以来、表舞台からの露出が減っていきます。山下さんは有名でしたけど、私も歩道橋の横断幕を見るまでは存じ上げませんでした。晩年は拓殖大学柔道部の監督をされ部を全国大会優勝へと導きます。なんてすごい人なんでしょう。
熊本市南区野田にある大慈禅寺にあるお墓へお参りに行きました。『鬼の柔道』木村政彦さん。郷土の誇りです。日本柔道界の今後のご発展と東京五輪で日本柔道勢が活躍してくれるといいですね。観戦チケット持ってたのに><。
JR九州鹿児島本線 川尻駅
JR九州鹿児島本線の川尻駅。駅舎が明治風の木造づくりで白い壁が爽やかに感じます。駅構内には瑞鷹という地元のお酒メーカーの展示物がありました。駅横には駐輪場と広い有料駐車場があります。
駅から歩いて数分のところにある林酒店さんではこんな商品も。大喜びで買っちゃいました。上の方のチラシも頂けました。今、コロナウイルスの影響でなかなか移動できない方も多いですが、ネット通販もやられてるそうですよ。落ち着いたら川尻に是非遊びに来てはいかがでしょうか。
追記:東京五輪2020では日本柔道勢の活躍が目立ちましたね。史上最多の金メダル9個。銀2個と銅1個の計12個。その大躍進をご報告にまた訪れました。天国で喜ばれていると思います。合掌。令和三年九月五日 大安