山口県東部の岩国市にある観光名所「名勝 錦帯橋」は、令和五年で創建350年を迎えました。錦川に掛かる綺麗な曲線の木製のアーチ橋は現在でも人々を魅了しています。
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「延宝元年(1673)、第三代岩国藩主吉川広嘉によって創建されました。それまでの橋は、錦川の洪水のたびに流されていましたが、広嘉の斬新な発想と藩の技術者のたゆまぬ努力によって現在の橋の形が作り出されました。
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長年美しい姿を誇っていました。昭和25年9月、当地方を襲ったキジア台風により惜しくも流失しました。その後昭和28年1月再建されました。現在の橋は平成13年度から平成15年度にかけて行われた工事により掛替えられたものです。
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橋の長さは210m、直線で193.3m、幅5m、橋脚の高さ6.64mとなっています。錦帯橋といえば周囲の景観と調和した美しい姿が特徴ですが、木組みのアーチや橋脚、その橋脚を支える敷石の技術は、現代の土木工学においても通用する技術であると言われ、当時の岩国藩の技術の高さを裏付けるもので、その匠の技は今日まで脈々と伝えれています。
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通行するには通行料がいるので小銭のご用意を。大人310円、小人150円で受付に払います。夜間、早朝で受付が閉まっている場合は、横の箱にお金を入れて通行できます。受付が開いている場合は、往復券などが販売されています。
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雨が降っていましたが、問題なく歩けました。橋の欄干まで曲線を帯びていて美しいです。向こう岸には、お土産品店や資料館、公園もあり、奥の山には岩国城へ通じるロープウェイが見えます。
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剣豪佐々木小次郎の銅像もあります。先祖以来当地に住み、錦帯橋近くで稽古をしていたと伝えられています。頭上には岩国城が建っています。
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橋を渡りきり、徒歩で10分ほど歩くと、奥にロープウェイ乗り場があります。
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運行は15分間隔なので、待ち時間が少なくて助かります。チケットを券売機で購入し階段を上ります。ロッカーも自販機もありますのでくつろげます。
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御城印や城カードも販売されています。岩国城でも販売されています。
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山上でロープウェイを降りると、隣に広場があり雄大なパノラマを眺めることができます。
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ロープウェイ降り場から岩国城までは、林の中を10分くらい歩きます。
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一風変わった形の岩国城が姿を現します。毛利元就公の防長削封後、六万石の領地が分与された孫に当たる吉川広家公が慶長十三年(1608)標高300mの要害の上に築城しました。
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しかし元和元年の一国一城令でお城は破却されてしまい、現在のものは昭和37年に復興天守として建てられました。岩国城の中は資料館になっており、数々の刀剣・甲冑・書状など資料が展示されています。天守からの眺めです。遠くに瀬戸内海が見えます。
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50mほど離れた場所に本来の天守台跡が復元されています。石垣は加工がない野面積み。当時は、四層六階の天守がそびえ、周りには五つの櫓や三つの門がありました。山の麓は土居と呼ばれ、藩主の住む館や侍屋敷などがありましたが、現在は吉香公園として整備されています。
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その吉香公園側には吉川家歴代のお墓が並ぶ墓所があります。こちらは、その案内板です。
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実は岩国藩が正式に大名格として認められたのは、明治元年になってからの事です。藩として大名格に認められるには、幕府に親である宗家の藩の推挙が必要であり、それを経て朝廷からの従五位下の叙爵が与えられるのですが、萩宗藩からの推挙が得られませんでした。それには理由があります。
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こちらは、公園近くにある「吉川史料館」。中は小さいですが吉川家関連の展示物があります。その答えになる書状も展示されています。関ヶ原の合戦前日、西軍毛利側の吉川広家公でしたが、東軍の徳川方との間で「毛利氏の所領安堵」を条件に「動かぬ」密約を交わしました。
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結果は東軍勝利で幕を下ろしましたが、徳川方は約束を守らず毛利氏所領は八カ国減らされ防長二カ国だけになってしまいました。そのため萩宗藩の怒りが吉川家への反発を招いたようです。
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こちらは、吉川徴古館の横にある「岩国徴古館」。博物館のように岩国・長州の歴史に関する展示物があります。訪れた時は「亀尾城」の御城印がいただけました。
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こちらは、岩国藩初代藩主「吉川経幹公」の絵。悲願の「岩国藩」が誕生したのは明治維新後、十二代経幹公の代で、亡くなったあと喪に伏せての認可でした。これで晴れて大名格になりましたが、すぐ後の廃藩置県で藩自体が廃止になりました。
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