【三重県】藤堂高虎公が手掛けた近世城郭/津市津城跡

 元々は元亀二年(1571)から天正八年(1580)にかけて織田信長公の弟、信包(のぶかね)公が安濃津に築城された五層天守の安濃津城が津城のはじまりでした。文禄三年(1594)信包公が秀吉公に改易され翌年、富田知治・知信父子が、津城に入り城主となります。

そして慶長五年の関ヶ原の戦い(津城籠城戦)、西軍の猛攻により打撃を受けました。後に新城主となられたのが、築城の名手「藤堂高虎公」。こちらも家康公の命により、大坂側の反攻に備えるために大改修を行うと同時に城下町の整備にとりかかられました。天守閣は作らず、平城で高い石垣と堀で二重に囲み輪郭式の形になりました。(関ヶ原の合戦屏風)

JR・近鉄津駅からバスで数分の停留所「三重会館」で降り、歩いてすぐの所にあるお城「津城跡」。高虎公が大改修されてから約50年後、二の丸より出火し本丸焼失。その後、寛文十年(1670)津城を再建しますが、明治十二年(1879)城中御殿内より出火し再び消失、外郭平櫓など12棟が取り払われ、六年後に本丸や多聞櫓なども取り壊されます。

写真に写っているのは丑寅三十櫓と戌亥三十櫓(明治初期)と多聞櫓。

三重の上品な白い櫓が出迎えてくれます。(この櫓の中には入れません)

本丸は丸い庭園になっている他は石垣のみです。目の前は駐車場。

中には藤堂高虎公の銅像がありました。

築城の名手藤堂高虎公

藤堂高虎公

弘治二年(1556)一月六日(二月十六日)〜寛永七年(1630)十月五日(十一月九日)

近江國犬上郡藤堂村(滋賀県甲良町在士)にて父の藤堂虎高公の次男として誕生。浅井長政公に仕え、姉川の合戦に足軽として参加、武功を挙げ初陣を飾ります。このとき属した隊の長だった磯野員昌(かずまさ)公が、後の恩人になります。主君の浅井家が滅び、織田家家臣の阿閉貞征公に召し抱えられますが、部下の二人を意見の対立から殺めてしまい追放・浪人に。それを知った磯野員昌公に80石で召し抱えてもらえましたが、また因縁の織田家の信澄公に仕える事になり不仲に。またしても磯野員昌公の計らいで秀吉公の弟、秀長公に300石で召し抱えてもらえました。

高虎公は必死に幾多の合戦で武功を挙げ、ご恩に報います。秀吉公亡き後は家康公に仕え、関ヶ原や大坂の陣での活躍。慶長十三年、伊勢国の一部と伊賀国一円の領主として任され、初代津藩主となり32万石の大大名になりました。以後、津藩は明治維新までの260年間繁栄が続きました。寛永七年(1630)十月五日、江戸の藤堂屋敷邸にて病気で死去。享年75。

JR・近畿日本鉄道 津駅

JR東海の停車駅である津駅。ここはもうJR西日本ではないんですね。「つ」ってひらがなで一文字だけで面白いです。遠くから見ると「?」に見えるそうです。地元の方は「津ぅ」と発音するんだとか。両隣の駅名の由来も知りたいところです。

近畿日本鉄道とJR東海の乗り継ぎ駅で、駅前にはバス停のロータリー、駅構内には土産屋や飲食店のテナントが入っていて、時間調整に利用できました。幼少時代に浅井3姉妹の江姫が過ごしていたらしく、キャラの絵がありました。

こちらのキャラの「GOちゃん」はツンツンヘアですね。もう一つのPRキャラは「シロモチ」くんで、藤堂高虎公がまだ若く貧しいころに餅屋の主人から恩を受け、「人の情けを忘れないように」と藤堂家の旗印は「白い三つの丸餅」になったという話から作られたキャラなので、一目でわかると思います。

駅横の津のいいとこ案内所内で「御城印」をいただきました。

お城の守護神 高山神社

お城のすぐ近くに御鎮座されている「高山神社」。ご祭神は藤堂高虎公・木花佐久夜毘売命・大物主命・建速須佐之男命・大山祇命。津市の礎を築かれた開祖として「高山居士」のおくり名に由来。

御朱印もあります。

続日本100名城の印はこちらの社務所にありました。

ご当地名物

JR津駅にあるエスカレーターで二階へ上がると現れるこのディスプレイ。こちら津市の名物の一つ「津ぎょうざ」。元々は津市の学校給食で昭和60年ごろに出されていたメニューだとか。他県民ですが、確かに揚げ餃子があった覚えあります

めっちゃ大きい揚げ餃子です。大きさがわかりにくいですが、拳ぐらいの大きさでしょうか直径15cmぐらいでボリュームありました。餃子は冷めると不味くなるので、揚げたてを店内、またはテイクアウトしてすぐに食べたほうがいいですね。

もう一つの名物は、鰻の蒲焼。一人当たりの鰻の消費量が日本一だった事もあるほどの鰻好きな街。そこで訪れたお店、観光パンフレットや旅行雑誌、テレビなどで取り上げられてる有名な鰻の蒲焼専門店「新玉亭」さんです。私もネット動画で爆盛りの鰻の蒲焼の映像を見ました。注文して見ました。笑。フタがこんなに浮いてます。

フタを取るとこんな感じです。こう見るとご飯の下の方にタレが染みてないように見えますが、たっぷりタレが入ってました。きっとご満足いただけると思います。

フタに分けて二人で食べてもいいですよね。美味しかったです。こちらのうなぎの特徴は、鰻の皮部分を炭火でパリッパリに。身はしっとり柔らいので、もちもちとサクサク二つの味わい方ができる鰻の蒲焼でした。

ちなみにこちらでは鰻の蒲焼の自動販売機がありました。珍しいですね。

時間がなくて行けなかったのですが、津城の周りの「東洋軒」という看板をよく見かけます。そちらには珍しい「カレー」があるそうです。

東洋軒

明治22年創業で日本の洋食文化の草分け的存在で、初代内閣総理大臣の伊東博文をはじめ歴代閣僚も食され。宮内省御用達として晩餐会にも出張された由緒あるお店として有名な「東洋軒」さん。津城跡周辺にも看板があります。

一見、見落としそうな外観です。住宅地の奥まった場所にあるので通り過ぎてしまいそうです。

店内はセレブ感いっぱいで、雑踏を忘れさせてくれます。自慢の洋食コース(4000円)を頼みました。どんなメニューが出てくるのでしょう。

特製コーンスープです。トロっとしてて美味しかったです。

二品めはカニクリームコロッケです。日本で初めてクリームコロッケを発案された方が東洋軒出身の方だったとか。ご自慢だけあってフワっとした中に、角切りのカニ肉も入っていて美味。

続いてはふっくらハンバーグ。なかなか出会えない膨らんだ形。肉汁たっぷりです。このタイプ好きでしたのでとても満足です。

そしてこれが目当てでもありました。「ブラックカレー」。津の東洋軒初代猪俣重勝さんが試行錯誤の末に完成させたカレー。松阪牛脂と小麦粉、秘伝のスパイスを炒めて焙煎し、黒くなるほど、1ヶ月をかけて煮込んだブラックカレー。少し苦味があるのがアクセント。こちらではレトルトカレー類も置いてありお土産にもできます。

最後はデザート。バナナ・生クリーム・りんご・メロン・プリンなど美味しくいただけました。お腹いっぱいになり満足でした。洋食コースは税抜き3900円、ジュースなど飲み物600円。とてもお安いかと思います。

七夕まつり

毎年七月七日に行われている「七夕まつり」。津城跡のそばにある岩田川に掛かる橋にて開催されました。令和五年の様子。

橋の欄干に立てられた七夕飾りが綺麗でした。アーケードには屋台も並び賑わっていました。

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