【山口県】高杉晋作公の故郷①毛利輝元公の居城/萩市萩城跡・萩八景遊覧船

嘉永六年(1853)浦賀沖に突如現れたアメリカ合衆国東インド艦隊4隻侵入事件から明治政府樹立(1868)までの15年に及ぶ「幕末」。西洋列強の外圧とそれに屈服する幕府に反旗を翻し、国を守った志士たち。その中でも人気が高い大英傑高杉晋作公の故郷「萩市」を訪れました。

JR西日本 東萩駅

白壁が綺麗で古風な駅舎のJR東萩駅へ到着。まずこの駅から何処へ行こうかな?

そんな時の強い味方、周遊バスが萩市でも走っています。【萩まぁーるバス】1回乗車100円(一日券500円・二日券700円)。史跡や名所が多い萩市ですから凄く便利です。

バスのコースは【東回りコース:松蔭先生(水色・青色)松陰神社・博物館方面】【西回りコース:晋作くん(オレンジ色・黄色)萩城跡・萩駅方面】の二つに分かれていて、赤い丸の萩市役所・明倫センター・萩バスセンター・萩駅前・萩市民病院では乗り換えできます。※現在地は東萩駅での路線図です。

東萩駅前の時刻表ですが、1時間に1〜2本で約45分間隔なので、上手く乗り換えれば効率的な移動ができます。まずは萩城跡へ行くため、西回りコースに乗車しました。

国指定史跡 萩城跡

「萩城は関ヶ原の役後、毛利輝元が慶長九年(1604)築城に着手し、四年後の同十三年(1608)に至って完成したものである。

萩市街の西北隅、指月山(標高143m)の麓に位置し山名をとって指月(しづき)城とも呼ばれた。山麓の平城と頂上の山城とを併せた平山城である。

当時輝元は隠居していたが、その子初代藩主秀就が幼少のため、築城後も政務を執っていた。以後代を重ねること十三代敬親に至って幕末多端の国事を処理するに不便なため文久三年(1863)四月山口に移った。

ついで明治七年(1874)建物の全てが解体された。本丸には高さ十四、五メートルの五層の天守閣があったが、今はその台座のみ残っている。

周囲には石塁を築き内部には藩主の居館ならびに藩役所と付属建物があった。この城は259年間防長両国政治の中心であり明治維新に大きな役割を果たした重要拠点でもあった。」

本丸は東西約200m、南北約145mの規模で阿武川の下流、松本川と橋本川との間デルタ地帯にあるお城で、マップを見てみると約20分で登った頂上の山城側には矢倉跡があるようです。

さっそく天守閣跡に上がってみましょう。

天守閣跡には、等間隔に配置された礎石や石垣の裏込石などが見られます。関ヶ原の戦いで西軍の総大将だった毛利輝元公は、防長(周防・長門)二州三十六万石に減封されました。

毛利氏が居城築城の候補地としたのは、①瀬戸内海に面した周防国の国府とした防府の桑山、②大内氏が西の京と誇った高嶺(こうのみや)、③山陰の海にのぞむ萩指月山の地でしたが、西軍毛利氏の復活を懸念した幕府が許可したのは寒村地である萩の地でした。

石垣の間から緑の草原と海が覗いてますね。城の海側へ行ってみると

白い砂浜とエメラルドの海が広がっています。武士や侍女さんたちも、ここで泳いでいたのでしょうね。海岸線に石垣が並んでいる素晴らしい風景です。

御城印

萩城跡の入口には料金所があり、そちらで御城印が販売されています。

周辺スポット

萩城跡には、無料駐車場・お手洗いがあり、そこから真っ直ぐ萩城入口まで行けます。こちらにはレンタサイクル屋さんもあります。

駐車場にある「城跡ながお」さん。食事や土産品も販売されています。

こちらで販売されている【ご当地ソフト】夏みかんソフトクリーム。萩市の推し名物は【夏みかん】。何故夏みかんなのかは後ほど分かります。

萩八景島遊覧船

周遊バスの萩城跡バス停の向かい側にある「萩八景遊覧船」。ぜひ乗って頂きたい推しのスポットです。ガイドさん付きで、更に萩の歴史について学べますよ。

【3月〜11月】午前9時から午後4時まで【11月】午前9時から午後15:30まで。【料金】大人1500円・小人800円とリーズナブル。【乗船時間】約40分。料金を払って待合所に待機します。

遊覧船は屋根付きの古風な少人数タイプ。福岡の柳川下りのような手漕ぎではなく、エンジン付きです。救命胴衣を着てガイドさん達と乗ります。前の方が断然視界がいいですが、最後尾のガイドさんの声が聞こえづらいです。

萩八景とは、貞享二年(1685)三代藩主吉就は、お抱えの絵師雲谷等璠、歌人阿部春貞、学者山田原欽の三人に命じて新しく萩城下の佳景を選ばせました。等璠にはその絵を描かせ、春貞には和歌を、原欽には詩を作らせ萩八景である「八江萩」の図巻を作らせました。

それらの場所は橋本川と松本川沿岸の情景を取り合わせたもので、三角州の周囲を取り巻くように作られています。」八ヶ所のうち①倉江の帰帆 ②玉江の秋月 ③桜江の暮雪の三ヶ所を水上から巡ります。(④小松江の晩鐘 ⑤鶴江の夕照 ⑥下津江の落雁 ⑦中津江の夜雨 ⑧上津江の晴嵐)

視界バッチリの左前方に布陣しました。前さぁ出航!萩城跡へ進む橋の下をくぐって進みます。

まずは、萩八景を3ヶ所が待つ南に向かいます。

次第と川幅が広くなっていきます。遠くに大きな橋本川と玉江橋が見えてきました。

石垣が積まれてた川岸には、あふれるような緑と武家屋敷風の建物が並び素敵です。

波しぶきが大きくなっていき、下に手を降ろすと飛沫が当たりますが、危ないですので落ちないように気をつけてください。

玉江橋が近づいてきました。緑の小山が並ぶ山口県らしい風景。奥に見える山には、鎌倉武士が元寇に備えて築いた石垣が現在も残っています。

目の前に緑に包まれた面影山がお出迎え。(山頂にあるのはテレビ用反射板)の下には、毛利のお殿様が眠る菩提寺大照院という寺院があリます。

もちろんまぁーるバスに乗って行けます。

広島から来たお殿様(輝元公)が、この山の形が広島にあった山に似ている事から「面影山」と名付けました。萩市を巡ると景観をすごく大切にしているのが伝わります。橋はもちろんコンビニ・ガソリンスタンド・スーパーに至るまで派手な色を抑えてます。お越しの際はぜひその景観も鑑賞ください。

萩八景③:桜江の暮雪 白雪の 夕の色は さくら花 江の波かけて 散るかとぞ見る

岸には白い長塀と武家屋敷が続き、山を含め雪が降ると綺麗でしょうね。桜が咲く時期と秋の紅葉の季節は特別に少し先まで進みますが、五月でしたのでここで引き返します。

再び玉江橋をくぐり戻ります。玉江橋は萩市と長門市を結ぶ191号線が通っています。確かに紅葉や桜の季節は、絶景ビューポイントでしょうね。

萩八景②:玉江の秋月 江の水に 移る影さへ 白玉を みがくばかりの 秋の夜の月

萩八景①:倉江の帰帆 遠島や 浪もひとつに みどりなる雲よりいでて 帰るつり舟

萩八景(3ヶ所)を鑑賞したので発着点へ帰って終わりかな?、いえいえ。これで半分、むしろこれからが楽しいです。

萩市名物 夏みかん

萩市の至る所で夏みかんの樹木が見られます。川岸にも沢山植えてあり、実が落ちてます。文久三年(1863=攘夷決行の年)藩庁が山口に移った事に加え、明治初期の給禄奉還により生活苦に陥った旧藩士たち。そこへ帰郷した小幡高政(新政府)が、夏みかんの種を蒔き、苗木を配布しました。

夏に実るみかん。食べてみたら「美味しい」と大評判になり、やがて当時の萩の財政を超えるほどの名産品となりました。その名残りで萩全体に夏みかんの木が広がっています。

そうです。山口県に行くと「黄色いガードレール」を見かけますね。昭和三十八年の山口国体を機に導入されたんですが、ただの黄色ではなく特産品「萩の夏みかん色」だったわけです。先人たちの温かいロマンが詰まった話ですね。後ろの建物も歴史ロマン。

さて遊覧船は鯉のぼりと毛利家の旗がはためく発着点の横を通過し、海の方へ向かいます。しかし、その先にはとても低い橋が見えて来ました。

可変式ルーフで大海原へ

なんとこちらの遊覧船のルーフ(屋根)は、折りたたみ式になっていて、モーターで低くしたり高くしたり出来るのです。乗客も一緒に頭を下げて、低い橋の下を通ります。(2倍速)

海へ出ましたよー!心地よい潮風とエメラルドの海上で、左を向くと標高143mの指月山(しづきやま)と萩城跡の石垣たち。

右後方を見ると、綺麗な菊ケ浜の砂浜が広がっています。

晋作公ゆかりの海上

そして、位置でしばらく停まります。頂上には詰所や櫓があり海に囲まれた要害の萩城でしたが、近代兵器により逆に大きな弱点が露呈することになりました。

慶応元年(1865)挙兵した高杉晋作公が率いる諸隊(正義派)は、幕府恭順派(俗論党)が籠る萩城を包囲。船に乗せた大砲をこの位置から放ちました。数十人vs千人、数ではるかに勝る萩城側でしたが、攻撃が船まで届かないため反撃できず混乱、ついには開城しました。海城から内陸の山口城に移したのも頷けます。

萩城跡を堪能した後は、周遊バスに乗って次回は高杉晋作公ゆかりの地を巡ります。

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