【岐阜県】天空の巨石城/中津川市苗木城跡

その姿は〝まるであのアニメのお城〟と訪れた人の心を魅了するお城が岐阜県中津川市にあります。その名は「苗木城」。全国でも珍しい巨石に築城したそのお城を訪れました。

苗木城

観光ガイドによると、「苗木遠山氏により戦国時代の大永六年ごろ(1526年ごろ)に築城されました。遠山氏は、織田・武田氏との縁戚関係を結び勢力を広げますが本能寺の変の後、森氏に城を追われます。徳川氏に身を寄せ、関ヶ原の戦い前に家康の指示で苗木城を取り戻しました。この功績により苗木領1万521石の大名となり以降、明治四年(1871)の廃城に至るまで約270年12代にわたり遠山氏が治めました。」とあります。

 「天空の城」と呼ばれる城は数々あれど、他にはないこちらだけの特徴は何と言っても「巨大な自然石の上に」お城があったという珍しさです。この山城は山の頂上にありますが、物凄く高い山ではなく小高い丘の上にあります。しかし、周りは断崖絶壁の場所で迂闊に走り回ると崖下へ真っ逆さま。

とても人気がありますが、マムシちゃんもいますので散策に注意してください。ただ、道も綺麗に整備され駐車場から歩いて5分くらいで城郭が見えてきますので、足腰の弱い方でも本丸へ行けます。

大きな巨石がゴロゴロあります。近くには、お城に必須な井戸もありました。

城郭全体の大きさは、あまりありませんが、とても立派なお城跡です。横に流れる木曽川をお堀とし、本丸の天守台を囲むように二の丸、三の丸、矢倉、蔵跡などの周辺も石垣でしっかり守られています。

 天守台跡の横にあるこの巨岩は「馬洗岩」と言い、周囲45mある花崗岩質の巨岩です。かつて敵に攻められ水の手を切られた際、この上で馬をお米で洗い、水が豊富であるように装い敵の目を欺いたというのが名前の由来です。

天守台から見下ろすと、隣に石垣で精密に作られた「大矢倉」がよく見えます。とても綺麗にブロック状に積まれた石垣がとても見事でした。ゲームのお城みたいですね。

天守台にある展望台から見た景色です。緑の木曽川が見え、奥には山々がとても綺麗で爽やかな風が吹いています。木曽川から山頂までは標高約170m。霧が現れる時は「天空の城」になるのも分かります。

断崖絶壁に築かれたお城を守るように木曽川が流れ、残りの3方面に守りを集中さできます。「馬洗岩」はこのすぐ下にあるので、多くの敵兵が見た事でしょう。

築城した遠山氏。鎌倉時代、岩村荘で岩村城を築いた御家人加藤景廉公の子、遠山景朝公が苗木荘の地頭に任ぜられ美濃国恵那郡より進出し治めることになりました。弟の遠山景重公は遠山荘を治める事になり明知遠山氏となります。南北朝時代の動乱が始まると、跡を継いだ遠山景村公は苗木に砦(苗木城の原形)を築き、やがて城郭へ改修・城下を統治し戦乱に備えていきます。

戦国時代に入り、城主になった遠山友政公は主に織田家に仕えていましたが、本能寺の変が起き混乱します。その後、秀吉公家臣の森長可に攻められ家康公の元へ落ち延び、お城は川尻秀長に与えられてしまいました。しかし、川尻秀長が慶長五年(1600)関ヶ原の合戦で西軍に属し敗死すると、東軍家康公の命で再び苗木城主に返り咲き、苗木藩十二代友禄公まで居城とし明治維新を迎えました。

傘置山を眺められるこの矢倉「傘置矢倉跡」。苗木城は別名「赤壁城」と言われます。「木曽川に棲む蟠竜が白い色を嫌い、川尻秀長が城を修築して城壁を塗ると、その度に蟠竜が暴れて木曽川が氾濫し、壁が泥だらけになってしまう。そこで壁を赤く塗ったところ、ピタリと蟠竜は暴れなくなった。」という伝説からきています。蟠竜とは地上で潜み天へ昇らない龍の事。

苗木遠山史料館

苗木城の駐車場そばには、史料館があり詳しい資料展示が行われています。こちらでは御城印もいただけます。

訪れた際には2種類ありました。駐車場もありますので、ゆっくり見学出来ます。バス停もありますが、便数が少なかったので駅からタクシーを利用しました。「九州からの方は初めてですよ」と言われました。

JR東海 中津川駅

少し古さがありますが大きな駅舎です。構内にはレトロなうどん屋さんや喫茶店があり、ご年配の方には、郷愁を感じるのではないかと思います。こちらからタクシーなら1600円ほどで苗木城跡へ着きます。

栗きんとん発祥の地

お正月のおせち料理には欠かせない「栗きんとん」。大好きで真っ先になくなりますが、まさかこちらが発祥だったとは。「中津川は山間部にあり江戸時代から自然の恵みをとても貴重で大切にしてきました。秋には山栗が実り各家庭ではそれを収穫し栗ご飯にしたり、焼き栗、茹で栗にするなどいろいろな食べ方をしていました。やがて砂糖が各家庭で利用されるようになり、蒸した栗を切って取り出し、すり鉢で潰して砂糖を入れ出来上がったものを餅やご飯にまぶしたり茶巾で絞り食べていたものが栗きんとんの始まりとされています。その後、明治の中頃になり栗きんとんが和菓子屋によって商品にされたと伝えられています。」

駅横のビル内観光案内所

こちらのおしゃれなビルの一階に観光案内所があり、各種観光パンフレットや苗木城関連の案内などがあります。御城印の上にあった「栗きんとんカード」はこちらにありました。バスの待ち時間に利用できる休憩所もあり。

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