【滋賀県】将軍家光公の宿城とバルーン城/甲賀市 水口城

滋賀県甲賀市水口町、近江鉄道水口城南駅近くにある「水口(みなくち)城跡」。大坂城や江戸城の再築と同時期で、日本の城郭技術がピークに達した寛永の十一年(1634)に築城。東海道を上下する将軍様の「お茶屋」「宿館」となりました。石垣もとても立派です。隙間がありませんね。地図上にはもう一つの城跡があります。水口駅近く古城山の頂上にある「水口岡山城跡」。時系列的に後者から訪ねてみました。

水口岡山城(みなくちおかやまじょう)

お城があった古城山は、標高283m、東西に1kmあり眺望がよく琵琶湖の方まで見渡せ、すぐそばを東海道が通る交通の要所でもあります。確かにお城は欲しい位置。

「甲賀郡中惣」と呼ばれる土豪武士集団の組織をつくり、一人の主君との主従関係ではなく合議して物事を決めるという全国でも珍しい忍者の里、甲賀。そんな甲賀に大きな出来事が起こります。天正十三年(1585)秀吉公が紀州太田城へ水攻めをする際に甲賀衆へ頼んだ堰の管理に不手際があったとし、多くの武士が改易(平民)になってしまいました(甲賀ゆれ)。混乱する中、秀吉公は家臣の中村一氏公に命じ、古城山に「水口岡山城」を築かせ治めさせました。

古城山の入口にある水口岡山城の看板。大きな太閤秀吉公初代城主 中村一氏公二代目城主 増田長盛公三代目城主 長束正家公のイラストが描かれています。長束正家公は慶長五年(1600)関ヶ原の合戦で西軍側で参戦しますが敗戦。水口岡山城へ撤退しますが、捕らえられその後自害。徳川幕府によってお城は廃城になりました。

水口城の窓から水口岡山城の方角へ掲示されていました。思っていたより立派な「お城」。

水口石橋駅の近くにある「甲賀市ひと・まち街道交流館」で過去に期間限定で販売されていた御城印がいただけました。他にも本なども販売されていておすすめです。バルーン城というのは4月にお城の巨大バルーンが登場したイベントのようです。

元祖バルーン城 R5.6更新

 令和5年4月22・23日に行われた「元祖バルーン城 よみがえれ!水口岡山城」というイベントに行ってきました。これがそのバルーン城です。石垣(絵)も描かれており、本物のお城のようでした。

下から見ると、とてもふんわりしてます。中へは空気がパンパンに入ってますので入れません。でも一見の価値ありです。とても嬉しかった。山頂にありますが、近くの小学校グラウンドから乗り合いタクシーがあったので利用しました。

古城山から眺める景色も格別でした。山頂なので吹き抜ける風が心地よく、4月なので虫もいなくて快適でした。

お城の横の曲輪では屋台や子供用のミニSLならぬミニ忍者列車が走ってました。春ver御城印。

一年でこの二日間だけですが、ライトアップされて「よみがえり」感動しました。

●龍王山 大岡寺

道を挟んだ古城というホテルの真裏側にありました。ペット連れはダメです。お寺の縁側に犬がオシッコかけたり、花壇に潜って穴を掘ったり、フンしたりしてたの見た事があります。マナーを守りましょうね。

 白鳳十四年(676)僧の行基が諸国行脚に際し、大岡山の山頂に白彫の十一面千手観音像を安置し創建。その後、十六もの坊舎を擁していましたが、天正二年(1574)の兵火で焼失し、東の坊(本坊)だけとなった後、天正十三年、中村一氏公が築城するにあたり地頭に移転。落城後の享保元年(1716)、住職の寂堂法印が再び、現在の地に再建、水口藩加藤氏歴代の祈願所となりました。

近江鉄道 水口駅

 城下町の雰囲気が漂う外観の駅舎です。一般的な三角形の屋根とは違い、ひさしが長くせり出した一枚のチョコレートのような屋根。途中に取っ手のような部品が付いていて印象的でした。落雪事故予防の屋根のようです。

水口城(みなくちじょう)

 近江鉄道水口城南駅から歩いて数分で到着。「水口城跡」。寛永十一年(1634)徳川三代将軍家光公が上洛するのに伴い、宿館として築城。木組みの立派な橋が掛かっていますが、腐食して危険なために渡れませんでした。

中の歴史資料館へは、右側の学校グラウンド側の入口から入れます。

平城で堀に囲まれた本丸とその北側の二の丸からなります。本丸はほぼ正方形で、東側に出丸、御殿と四隅に櫓を配し、本丸殿舎は二条城に類似していたとされています。お堀の水はかれる事がなく「碧水(へきすい)城」とも呼ばれています。(青く澄んだ水の城)

 家光公以降は宿城として使われず、正徳年間に(1711〜1716)本丸御殿は解体され二の丸は空き地となり現在は高校のグラウンドへ。明治維新後、廃城となり大半は売却されましたが、民家へ移築されていた一部が再移築され現在の歴史資料館に。白亜の綺麗な櫓で素敵です。

「加藤嘉明」公がいらっしゃいました。賤ヶ岳七本槍の一人。徳川側でも御活躍され、嘉明公の孫の加藤明友公が二万石にて水口藩初代藩主になられました。背景には干ぴょうが。資料館の展示物は基本撮影不可でした。御城印がいただけます。

徳川家の葵と加藤家の下がり藤の家紋です。右側には、かつて加藤嘉明公が西洋の剣を真似て造らせたと伝わる「水口レイピア」。(水口城南駅横の歴史民俗資料館にあるそうです。)

◆水口かんぴょう◆

安藤広重が描いた東海道五十三次に水口かんぴょうが登場して一躍有名に。水口岡山城主だった長束正家公が困窮する領民へ作らせ、後に栃木県(下野国壬生)へと伝わり広がりました。その後に改良された製法が壬生から伝わり、加藤氏の頃には藩財政と領民の暮らしを支える重要な特産品になりました。

近江鉄道 水口城南駅

こちらの駅も城下町風の駅舎です。右へ行くと水口城へ。左側へ行くと図書館・歴史民俗資料館。